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ナッシュ均衡と私たちを評価する者について

昔、ベンチャー企業で働いてたとき、社長が「社会には均衡点がある」と仰っていた。

馬鹿な私には理解不能であった。


☆☆☆


ナッシュ均衡の専門書3冊目を読んで、やっとこれの意味が理解できた。

ちなみに、自分は藤沢数希さんを尊敬しているのだが、彼がたまに仰る言葉も意味不明であった。

しかしナッシュ均衡を学ぶことによって理解できた。

ナッシュ均衡とは、ライバル企業同士の全力の企業努力の結果のことを言う。

両者が全力の努力をするのだ。

最大最高の企業努力をすると、その両者どちらもが利益及び売上が最大値になる均衡点があることに気づく。

たとえば、マクドナルドの隣に富士そばが立地しているとする。

両者はライバルだ。客を取り合っている。

富士そばがかけそばを250円にして、マクドナルドがハンバーガーを1つ120円にすると、富士そばのほうが利益が出る。

また、マクドナルドがハンバーガーを100円にして、富士そばがかけそばを一杯320円で売ると、今度はそばが売れなくなり、マクドナルドだけが大儲けする。

(だから、富士そばはそんな高い価格にはしないのだ、周りに競争相手がいないからこそ、そういう割高な価格設定をする、山奥のスキー場のカレーとかそう。競争相手がいないから1,000円を越すのだが、選択肢が他にないため、そこでカレーを食べなければいけないのである。つまりコスパが高い街または商品及び市場とは、競争相手のたくさんいる場所のことを言うのである)


両者は談合してはいけない。それは犯罪だからだ。

この2者が最大最高の努力をしたとき、一番良い均衡点というものが存在する。

それは両者の売上・利益が両者ともに最大値になる価格を言う。

代数と幾何で計算可能なのだが(あまり難しくない)、マクドナルドのハンバーガーが1つ100円、かけそばが290円のとき、両者の利益及び売上の金額が最大値になる。

両者とも儲かる均衡点。これをナッシュ均衡と言うのである。

会いもせず認識する。知覚するということだ。

マクドナルド及び富士そばの経営者は、互いに話し合いをせず、お互いの意思を読み合い、均衡点へと到達する。

現在そこら中の企業全てがやっていることが、これである。価格はこうして決まる。凄まじい知力だ。

ここまではただの計算でありゲーム理論である。

ゲームを楽しんでいるだけだ。

問題はこれを個人がどう社会で適用させ、実用化させるのかということである。

風呂で靴を洗っていたら一瞬にしてこれを理解できてしまった。

おぞましい理論である。

当初、私は興奮してしまい、1本50,000円でnoteでナッシュ均衡における個人の行動変容の戦略論を書こうとした。

しかし50,000円ではボッタクリである。

それだけの(ていうかそれ以上の)価値はあるが、金額が高い。

それにnoteは10,000円までしか価格を設定できない。

かと言ってタダで提供するにはもったいない。

私なりのナッシュ均衡。均衡点はどこにあるのかをずっと考えていた。

で、その均衡点とは、インターネットに情報を上げないことだと気づいた。

そういえば先日、ネットワーク外部性について書いたとき、バズったので、掲示板にウチの記事が晒されていた。

別にそれは良い。

ただ掲示板に書き込んでいる人たちは、記事を読んでも全員ネットワーク外部性理論を理解できていなかった。

なんでなのかなと思ったら、インターネットのWIKIに書いてあることと違うじゃん。

と話されていた。

Wikipediaに載っていることは論文の20分の1以下の知性でしかない。

読んでも完全には理解できない。ていうか、まったく理解できない。

タダの情報はそこで終わりなのだ。

私はブログを書く際、インターネットの知性がとても低いから、でき得る限り少しでもタダでまともな、知性を高められる書物を!

と思い執筆していた。

でも、それは均衡点ではないことに気づいた。どういうことなのか?

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