障害者と健常者が分かり合えないのは、なぜなのか?
インターネットでは障害者と健常者はいつも対立している。
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障害者側は、特に知能の高い車いすに乗った障害者の方たちは、障害年金をもっと寄越せ!街のバリアフリー化のためにもっと税金を使え!
と言う。社会及び健常者側に命令するのだ。逆に健常者側は、障害者のくせに偉そうで生意気。態度がでかい。その前に納税してみろ。
納税してからそういうことを言え。と、かなりもっともなことを言う。
両者とも喧嘩ばかりで問題解決はせず、両者の意見は平行線を辿り、決して分かり合うことがない。だからずっと喧嘩をしている。
特に車椅子ユーザーと健常者が喧嘩ばかりしてて、他の聴覚とか視覚とか精神とか知的とかの多数派の障害者は、そういうことを(頭がよくないので)全然言わない。
国を殴れば殴るほど税金は受け取れるのだけど、そこまで知恵がわかないし、頭が回らないから、対立しているのは常に健常者と車椅子ユーザーの方たちだけなのだ。
視覚及び聴覚障害者の個人的な意見としては、話し合いに参戦したくないし、死ぬほど興味もない。
なぜならこの論議はミクロ経済学であり、ゲーム理論で言うところの「ゼロサムゲーム」に他ならないためだ。
ゼロサムゲームとは誰かが得をすれば、その得られた利益の分、他の誰かが損をするというゲームのことである。
街のバリアフリー化のために1,000億円掛ければ、障害者の9割以上は働いてないのだから、その1,000億円を支払うのはほぼすべて健常者になる。
障害者が得をすれば(車椅子ユーザーしか得しないけど)、その分健常者の負担が増える。
これをゼロサムゲームと言わずして何と言うのか。
不毛なんだよ。無意味。マクロ(国家全体)としては意味がない。障害者は生産的ではない。
その行為は、世のため人のために尽くしてはいないし、ただ国に寄生しているだけのため、私はこの論戦には参加しないのだ。
ただ、ネットを見ていると、健常者側も浅ましい思想であり、思考力が非常に低いことも分かる。
なぜお互いが分かり合えないのか。その過失は健常者側にある。
福祉をやっている人間は障害者のためにがんばる!
なんぞと言うが、それはね、欺瞞だよ。欺瞞なんだよ。
誰も障害者の気持ちなんて分かってない。思慮が低すぎる。浅すぎる。
一度障害者の気持ちになってみれば良い。障害者の主観でそれぞれの事象、物事を見れば良い。
障害者の気持ちとは何か。どうすれば彼らの気持ちを理解できるのか。特に車椅子の方たちの気持ちを考えている人は少ない。
私は過去の彼らを尊敬している。いまのネット炎上芸人みたいな車椅子ユーザーは、あまり好きじゃないけど、過去の彼らには敬意を抱いている。
とても尊敬している。素晴らしい人たち。心の温かい人たちだった。
それはこれを読めば分かる。
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