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心臓の回数制限
心臓って、何年も毎日、毎秒、拍動している。
人は拍動や呼吸は無意識のうちに機能するようになっている。
でも、何故か、
”自分が拍動させている感覚" がある。
もちろん、意識して動かしている訳ではないんだけど、そういうことじゃない。
自分の今の状態に応じて、
見て呉れの自分じゃなくて、
本質の自分が動かしている。
拍動って一番その人を表している気がする。
見た目とか言動はいくらでも誤魔化せる。
精神分析者のアンナ・フロイトによると、
人は時に防衛機制として投影(投射)をする。
(見た目や言動は意外にもその人の本質と反転している場合がある)
強い犬は吠えないけど、弱い犬はよく吠える。
人の悪口を言っている人が言っている内容は、
その本人が気にしているコンプレックスだったりする。
かく言う自分も例に違わずそうだと思う。
満員電車に乗っている時、
人と待ち合わせしている時、
店員さんに注文する時、
街で知り合いに気づいた時、
(うわっ。絶対こっちに気づくな!って思いながらスマホに逃げる)
こういう時は驚くほど速い。
逆に、今自分の部屋で日本語ラップを流して、これを書いている時は別人かのようにのっそりのっそりしている。
だから、外に居る時間は相当命を削っている感じがする。
この世に生を受けてこのかた十数年、
この世で生きているのだけれど、
まだまだ慣れていないのだろうか。
めちゃくちゃ外界を警戒しているみたいです。
そう考えると、拍動に嘘はつけないなあ、と思う。
やっぱり、その人をその人たらしめる本質をよく表している。
人間の心臓の拍動回数にはどうやら制限があるらしくて、自分は2倍3倍、人より浪費している気がする。
もしこのままのペースで生きていくのなら、
死神もびっくりの65歳で老衰だ。
そんなことをダラダラと考えているので、いつも頭の端で、死ぬ前に何かやらないと!という焦燥感がグルグル渦巻いていたりする。
一言で書くと、早死にしそう。
っていう話です。