親ガチャ
親ガチャが流行ってると、とあるラジオで言ってて、「まあ流行ってるとはいいがたいけど、使ってる人はいるよねー」程度だったら、それがTVでもやたら使われていたので、個人的に思ったことを。
こういう流行の言葉を考えるとき、二つのことを考えるべきと思っている。1「そもそもなんでこの言葉が生まれたのか」2「使うことが当てはまるのか」ということである。ここでは1のみ扱い、2は別の記事で扱う。
「親ガチャの源流を求めて」
1「なぜこの言葉が生まれたのか」ということでは自分は「反出生主義」と「経済格差」の二つがあると思う。
まずは分かりやすい「経済格差」から。これは単純で東大生の〇割が年収○○以上!(例えば東大生の親「年収950万円以上が半数超」経済格差の不条理GOLD ONLINE)みたいなやつ。
これは確かに問題だし、最近もサンデルの「実力も運のうち 能力主義は正義か?」でも問題提起されている。ようするに、「子供の将来は、親の属性の影響を大きく受ける。だが、子供は親を選ぶことはできない。つまり、親の属性は完全な偶然性に支配されており、こどもは誕生時点で、運によってその将来を決定される」ということである。
ただ、これだけなら「格差を是正しろ」とか「階級闘争の再来!」みたいなことを言っておけばいい。こんなのはいつの時代もあったし、これまでのリベラル(or左翼)がそういう風な主張をしていたし、今でもしている。
だが、この親ガチャがそういう風な主張ではない。というより、そこから積極的な行動を主張するというより、むしろその状況を受け入れ、諦めるという意味で、「親ガチャ」は使われる。
そこから、自分は「反出生主義」の影響があるとみている。「反出生主義」とはざっくり「生まれることおよび子を持つことを否定的に価値づけ、子を持つことを道徳的に悪いと判断する倫理的見解である。」(wikipedia「反出生主義」より)。
つまり親エゴによって、子供は生まれてくる。けれども、その親が様々な属性において、平均より劣っているとすると、その不利な側面の代償は子供が被ることになる。しかし、子供は親を選べない以上、その不幸を回避しようがない。だったら、そういう属性の親は子供を産むべきではないのではないか。親のエゴを子供に押し付けているのではないかというわけである。
さて、こうは書いたものの、念のため言えば自分は一ミリも「親ガチャ」に共感していない。
この言葉の問題点を次の記事では書いていこうと思う。
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