愛すべき老犬
犬を飼ってみると、犬!と言えなくなった。いぬ。いぬです。
人に、いぬ飼ってるんですよ〜と言う時も、なんとなく平仮名のいぬを意識していぬと言う。
うちで飼っているいぬは、もう13歳でかなりの頑固ものです。
いぬも人と同じように、歳をとると頑固になるのだなぁと驚く。
例えば散歩の時。以前ならこっちに行こうと声をかけると素直に着いてきていたはずなのに、最近では自分の思った道でなければ、石のように硬く丸くなって、ガンとして動かない。たった4キロ弱しかない体を私は動かせないのです。
飼っているのはミニチュア・ピンシャーという犬種で、うちの家族に加わった日のことをめちゃくちゃよく覚えています。
その日は家族でヤッターマンの映画を観に行って、マッタリーナだかなんだか、そんな名前のレストランでパスタを食べて、ホーマックというホームセンターになんとなく向かった。
私の家族はみんな犬というか生き物好きなので、飼うとか飼わないとか関係なく、お散歩感覚でホームセンターによく行きます。そのような感じで、ちょっと行こか、と帰りに寄ったのでした。
そこで彼と運命の出会いを果たしたわけですが、その様子もすごくしっかりと覚えています。
生まれて2ヶ月たっているとは思えない小ささで、大きなクッションの下に隠れてこちらを覗いていた。他のガラス箱に入った犬たちはぴょんぴょん跳ねて、まるで私のこと飼って!とアピールしてるみたいでしたが、彼はそんなの気にせずになんとなくここにいる、という感じだった。
あとから分かったことだが、彼はケンネルコフという病気にかかっていて、かつ皮膚炎も患っていたから元気がなかったそうだ。
その小さな体があまりに可愛くて、というかここから出してあげたいという気持ち。それが我々四人を団結させ、ちゃんと育てるの?といつも私や妹に聞く母が、父にこのこ飼いたい、お願いと懇願してるのをみてびっくりした。
母親が何か欲しいとか、お願いしてるとか、そういう姿をほとんど初めて見たので。
そんなこんなで私たちの家に迎えられた犬は、スターンと名付けられた。私は月にまつわる名前、妹は太陽にまつわる名前なので、星だなということで、いい感じの星を探したらドイツ語にスターンとあった。
彼は同じ食べ物が続くとなんか嫌そうな顔をするし、散歩に行きたくなると、朝でも夜でも吠え散らして連れて行けと命じます。
人かい?と思うほど人らしい動きをするし、もしもうちのいぬが話せるようになったら、それはもう、とんでもないことになると思う。
平気で寝転がる私の上を走り回るのだから、当然私のことなんか下に見ているだろうし。でもそれでいい。
なんか最近はペットの学校とかもあって、しつけ!マナー!良い子!というのがもっぱら偉いみたいに取り上げられてるけど、人間に飼われてる時点でもう立派なので、好き勝手生きたらいいやん、な。
なぜスターンは犬に生まれてきたんだろうと最近よく思う。なんで私は人で、スターンはこんな真っ黒な毛が生えた犬なんだろう。無理な要求でもなんでも聞きたいから、ちょっとでも言葉話してよ、とも思う。
彼が老犬になってからさらにそれは思う。
私たちが好きに選んだリードを着けて、好きに選んだご飯を食べて、それでこんなに愛らしくて、どれだけよくできた生き物なのか。ああちょっとでもいいから長生きして欲しい。
そのためならなんでもしたい。
彼にはいつでも会える友達も、結婚相手もいません。子供もいません。それは幸せなのか、寂しくないのか、とたまに思うけど、それも人間が勝手に考えることで、彼のことはもしかしたら一生わからないままで、よくわからない勘違いをしたまま終わるのかもなと思うと、怖いというか寂しいというか、いぬを飼うものとして失格な精神をしていますが、それでも彼の思うことをわかりたいし、なんかそれらしい目をしたら汲み取ってやりたいし。
少なくとも、とてもとてもよい寝床くらいは用意してあげたい。
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