太閤立志伝シリーズが歩んだ大いなる歴史について


はじめに ‐リコエイションゲームの誕生‐


1990年頃、RPGは人気ジャンルだった。食べ物でたとえるなら王道のハンバーグ。キャラクターになりきり、成長し、ストーリーが展開し、様々な演出がなされていく王道ジャンルに、子どもたちは夢中だった。
一方、SLGも人気ジャンルであったが、たとえるなら懐石料理に近かった。煮物に昆布締め、酢の物に上品なお吸い物。数値を計算し、先を読み、指示を出してその読みが的中したことににやりと笑う。子どもにはハードルが高かったものの、大人が好んで手を出した。

SLGの雄はこの時代、光栄(現コーエーテクモホールディングス)だった。彼らにこのとき、天才的なひらめきが走った。

別に懐石料理にハンバーグ出してもよくね?

SLGにRPG要素をいれてはならない、なんてことはないのだ。きっと相性が良いはずだ。こうした発想の元、生まれたジャンルに光栄はリコエイションゲームと名付けた。

第一弾は幕末を舞台にした維新の嵐。第二弾は中世ヨーロッパを舞台にした大航海時代。第三弾はいよいよもっとも光栄が得意とする戦国時代を舞台にした伊忍道が発売された。

これらのゲームは主人公が存在し、レベルや能力が設定されていて、経験値稼ぎや金稼ぎを行う傍ら、イベントを進めることができるRPG要素がしっかりと用意されている上で、舞台には大勢力の思惑が絡んでおり、それらは主人公の行動外で動いており、大勢力同士がぶつかったり、小勢力が併合されたりと、めまぐるしく状況が変わっていく。まさしくSLGとRPGのいいとこ取りである。

こうしたリコエイションゲームというジャンルの萌芽の中で出てきた作品が「太閤立志伝」である。伊忍道の流れをくみ、舞台はやはり戦国時代。戦国時代を一兵卒から始め、出世を重ねて城持ちとなり、一国の大名となり、そして最終的には天下統一を目指すゲームである。
はたして主人公は誰か? こういった題材にもっとも相応しい人物を私たちは教科書から教えて貰っている。天下人、豊臣秀吉である。


太閤立志伝(初代)



1992年、第一作目がパソコン向けに発売され、翌年にはスーパーファミコンとメガドライブに移植版が発売された。内容に些細な違いが存在するため、この記事ではスーパーファミコン版を基準に解説を行う。

このゲームは豊臣秀吉(羽柴秀吉/木下藤吉郎)を主人公にした天下取りゲームである。主君である織田信長から毎月仕事を貰い、その成果次第で信長からの信頼が加算され、時には下降する。仕事は国力の底上げに直結するため、その国力で近隣諸国を併合し、信頼を重ね出世していって、大名となり、先に述べたように天下統一を目指す。

こうして記述すると偉大な先人である「信長の野望」とあまり区別がつかないが、太閤立志伝はあくまで一個人に注視したゲームである。秀吉は信長の指示により動かねばならない。最低身分である足軽頭では鉄砲の買い付けや米の売却といった雑務をやらされるし、そこで有能さを見せつけ出世したあとも、外交の使いであったり、石高(その国で産出できる米の総量のこと)を高めるための新田開発に従事することになる。そして仕事の合間を縫って自分の技能を高めるために馬屋や鉄砲鍛冶屋で働いたり、他の武将から師事したりもする。
もし不出来な結果を残せば降格させられることもあるし、最終的には信長に首を切られる(物理的に)ことだってある。ここらの過激さは現代のブラック企業を彷彿とさせる。仕事を重ねることで秀吉のパラメータは変化し、基本どんどん上昇していく(他のキャラクターの能力は変化しない)。

RPGらしいイベントも組み込まれている。物語を進めると秀吉の出世エピソードである「墨俣一夜城」(これは完璧に創作であるのだが)が起き、蜂須賀小六と共に城を作ることになる。
そのまま進めれば浅井家との同盟と破綻がおき、金ヶ崎の退き口という撤退戦が起き、そこから織田は同盟国徳川家康との連合軍をつくり、復讐戦である姉川の戦いを行う。
領土が大きくなると安土城が作られ、織田信長はそちらに移り住むことになる。
こういったイベントが起きるたび、秀吉はRPGらしく長セリフを信長や他家臣らとかわす。そのセリフの一端からちらりちらりと有能さを見せつけるため、「こりゃ信長様に気に入られて出世するわ」という気持ちにさせてくれる。

順調に出世を重ね、城持ちになると今度は部下へ指示を出す中間管理職へと変わる。部下の能力に見合った仕事を割り振り、どうしても部下ができない仕事があれば自分が代わりに行う。ブラック企業織田家の様相の一端が垣間見える。信長から城を落とせと言われれば、軍勢を率いて出陣する必要がある。

そうして一国一城の主になった後、それは起きる。誰もが知っている大イベント、本能寺の変である。重臣明智光秀が織田信長を殺してしまい、自分が取ってかわろうとする。秀吉はそれを知ると一気に軍勢を翻し、明智光秀と対決。これを討つ。そうすることで城持ちから大名へと成り上がることが出来る。まごまごしていると明智光秀が大名として確立されてしまうし、織田家は分裂して明智派と秀吉派ともう一人の宿老柴田勝家派に三分されてしまう。ここから秀吉は大名として他勢力と外交を行いながら、天下統一を目指せねばならない。

こうして記述すると「それっぽい一本道RPG」のように見えてしまうかもしれない。しかし太閤立志伝の魅力は「型にはまらないとんでもない自由度の高さ」である。

まず、マップ上のキャラクターの誰にでも話しかけることができ、同時に誰にでも辻斬りすることが出来る。辻斬りを行うと個人戦に移行するが、そこで敗北したキャラクターは即死んでしまい、以降のゲームに登場しなくなる。秀吉が負けた場合は即ゲームオーバーだ。斬ってしまうと秀吉の魅力が1下がってしまうペナルティがあるが、相手の魅力が50以下であるなら逆に魅力が1あがる。人斬り抜刀斎ならぬ人斬り藤吉郎の誕生だ。秀吉のパラメータはゲームスタート時に選べるようになっていて、イメージにそぐわない脳筋秀吉ではじめることもできる。
そしてこの辻斬りは、大名になったあとでもすることが可能だということを覚えておいて欲しい。

本能寺の変後、秀吉は大名となるが、なんとこの本能寺の変も明智光秀が起こすと確定していない。秀吉の出世スピードが尋常でなく速すぎると、明智光秀が城持ちになるまえに、他の重臣が本能寺の変を起こす。その重臣を討つことで秀吉が大名と成り上がるわけだが、その場合明智光秀はそのまま秀吉の部下になる。トンデモ歴史改変もいいところである。

そもそも本能寺の変を待つ必要すらない。秀吉が城持ちになった瞬間から、その選択肢に謀反というとてもありがたい項目が追加されるのだ。いついかなる時にでも秀吉は大名になることができる。
ただしその場合、忠誠心の低い部下は信長のもとへと戻っていってしまうし、そもそも激昂した信長が全力を尽くしてこちらを潰しに来る。それをかいくぐって勢力を広げるのがプレイヤーの手腕といえる。

謀反を起こした場合、こちらの城は一つ。信長の総勢力は数十。彼我の戦力差は圧倒的だ。しかも呑気に敵勢力の陣地に入り込み城の調査をしようものなら、敵武将がこちらの首を狙いに全力で辻斬りをしかけてくる。遠慮はなく、織田軍でもっとも武力が高い武将が(大抵柴田勝家だ)襲いかかる。秀吉はそれを払いのけ、時には説得し、時には土下座をしてくぐり抜けなければならない。問答無用!といわれたときは有無を言わさず個人戦だ。「話してもわかってもらえない事例」は350年後の5月15日に再度実証される。自分の領土に逃げ帰ると、ストーカーと化した柴田勝家は諦めて戻っていく。

小軍勢を駆使し、弱小の第三勢力を乗っ取りながら勢力を拡大し、いずれ信長を逆転するのが謀反を起こした際の定石であるが、もう一つの方法もなくはない。

敵将を次々に辻斬りしてしまえばいいのである。

襲いかかってくるストーカー柴田勝家も、元々仲の良かった前田利家も、秀吉に先をこされてしまった明智光秀も、ざくざくと辻斬りしていけば織田家の勢力は内部から縮小をはじめて行く。軍勢をもっていてもそれを率いる将がいなくなる。そうして動きが鈍くなったところを突けば良い。運が良ければ織田信長だって辻斬りすることができる。

そうした手段を取らず織田家を侵食した場合は、どんどんその配下を調略して自軍に取り込むことができる。戦力差をひっくり返し、こちらが圧倒的優位に立った場合は圧力外交をしかけることができる。困窮した織田家に続けて圧力をかけた場合、織田家は秀吉に屈服し、織田信長を家臣とすることすらできる。これは織田家だけにとどまらない。上杉家、武田家、好きなところに喧嘩をふっかけられ、同時に降伏させることができる。その場合総大将羽柴秀吉、副将織田信長、中固め明智光秀、二陣上杉謙信、先陣武田信玄という戦国オールスターで北条家や毛利家に喧嘩を売れる。概ねそのあたりでこいつにだけは敵わねぇと思った朝廷が関白の位をくれることだろう。そうすることで天下統一となり、ゲームクリアだ。

天下統一という目標は一つなれど、それに至る道程は無数に存在する。この奥深さと面白さは随一となり、リコエイションゲームというジャンル内でも太閤立志伝は人気作となった。そして続編が発売された。


太閤立志伝Ⅱ



1995年、PC98向けに続編であるⅡがリリースされた。翌年にはプレイステーションやセガサターンにも移植され、さらに後年にはWindows版が発売され、多くのプレイヤーの元に届けられた。相変わらず若干差異があるが、ここでは主にWindows版を取り扱う。

この「Ⅱ」はまさしくドラゴンクエストのなかのⅡであり、バイオハザードにおける2である。つまり、順当な進化版としての続編だ。

グラフィック、音楽、イベント数が増え、こなす仕事も多岐にわたるようになった。初代には存在しなかった九州、四国、東北地方が追加され、全国統一のスケールが大きくなった。大名の数も増え、登場人物は増えた。

細かなところでは一部の仕事の成否にミニゲームが採用された。新田開発を行う際には15パズル(15枚の絵をスライドさせる4*4のアレのこと)を行いその手数の少なさが良い結果に繋がるようになる。
そういうパズルが苦手? その場合は一緒に同行している部下に丸投げすることが可能だ。脳筋な蜂須賀小六でも頑張ってクリアまでやってくれるし、竹中半兵衛ならサクッと最良手順に近い手数でクリアしてくれることだろう。

そう、今作では部下が同行してくれるようになった。敵地の酒場で呑気に飲んでいたときに敵武将から絡まれることがあれば横から入って助けてくれるし、退屈な寺での修行も文句を漏らしつつ一緒に行ってくれる。宿屋で長期宿泊した際には同行者の技能を一部教えてくれることだってある。そうして秀吉はより強くなる。

そして信長も本作では優しさを見せてくれるようになった。今まで仕事を失敗し続けると物理的な意味で首切りをしてきたが、今作はあくまでリストラ的な意味での首切りで済む。
しかしゲームは終わらない。つまり浪人生活を送れるようになったのだ。
その後、他家に志願することが可能だ。つまり武田家木下藤吉郎や、毛利家羽柴秀吉が可能となった。他家で力を蓄え、勢力を拡大し、織田家に壮大なお礼参りすることも可能だ。主君が寿命でなくなった場合、その家で最も信頼された家臣が後を継ぐことになっているので、そのまま家を乗っ取ることもできる。もちろん恒例の謀反も、城主になった瞬間から許されている。

そして今作ではなんと秀吉以外の武将でプレイすることが可能となった。クリアしたデータを所持していると、明智光秀と柴田勝家、そしてオリジナルキャラである新武将で新ゲームをプレイすることができる。
明智光秀は最初から高パラメータでかつある程度出世した状態から始められるので非常に楽なのだが、下戸なので藤吉郎のように酒場で酒を酌み交わしながら他武将と仲良くなることができない。
柴田勝家は脳筋キャラで、合戦時に非常に優位だ。反面内政向けの武将との相性が悪いため、なかなか部下に恵まれない。なお、勝家プレイで始めると藤吉郎がめっちゃむかつくキャラに仕上がっている。
新武将は京で野垂れ死にしそうなところを医者に拾われるところからスタートする(ちょっと導入部が斬新すぎやしないか?)。無一文で浪人状態というかなりアレな状態だが、逆にいえばどの大名家に仕官するかも自由という状態だ。背後に歴史を背負っているキャラではないので、どのような歩みを刻んでも彼の列伝として刻まれる、という面白みがあるキャラである。

こうした新しいシステムの導入と、いままでのデータの拡充を行った結果、洗練され完成度は高まった。しかしその代償を払うことになる。1であったような辻斬り無双ができなくなった。今まではマップに行き交うキャラクターが全国各地で見ることができたが、登場人物が増えた今作でそれを行うとますますマップがごちゃごちゃになってしまうからだろう。表示されるキャラクターは大幅に削減され、かたっぱしから斬ることは事実上不可能になった。人斬り藤吉郎に慈悲の心が芽生えたのだ。

そうした自由度の低下を招いてしまったものの、全体的なゲームプレイの楽しさはズバ抜けたものがあり、まさしく名作と呼んで良い仕上がりになっている。太閤立志伝シリーズの評価を確立させた名作である。


太閤立志伝Ⅲ



名作シリーズという呼び声高い太閤立志伝シリーズであったが、開発スタッフたちは悩んでいた。ⅡはSLGとしての完成度を高める方向性に向かい成功したが、その方面に関してはいよいよ袋小路が見えてきた。マップは全国で完成してしまっているし、武将を増やそうにもメジャーどころは網羅してしまった。細かな不満こそはあるものの、それを潰したところで続編にはなりえない。

SLGとしての進化系への模索はとりあえず置き、RPGとしての進化の道を探すことにした。RPGの醍醐味とはなんぞや? ストーリー展開であり、高画質なグラフィックであり、ドラマチックなイベントである、と開発スタッフは考えた。こうして1999年に発売されたのが太閤立志伝Ⅲである。あいかわらずPC版と家庭用とで内容が違うので、PC版準拠で解説する。

今まで藤吉郎はデフォルメされた猿顔であり、柴田勝家はごついゴリラだった。明智光秀は雰囲気だけはイケメンだけれど、どれもこれも昔ながらの光栄グラフィックを引きずったむさいオッサンキャラだった。光栄はこれを一新した。ちょうどNHKで大河ドラマ秀吉をやっていたこともあり、イケメンキャラに差し替えた。たいそう苦労したことだろう。
そしてイベントが大量に増加した。稲葉山城の攻略には秀吉が崖を進み城中に潜入して工作するイベントが追加され、堀尾吉晴が仲間になるようになった。黒田官兵衛が仲間になったあと、史実どおり息子を処刑するように命ぜられるイベントもあるし、その後には竹中半兵衛が病死するイベントも起きる。これらは秀吉の選択肢で最良のルートが選べるようになっているので、黒田・竹中両軍師がサポートする展開も可能だ。

また、今まで無尽蔵にパラメータや技能をあげることが可能だったが、ついにⅢで制限がついた。最初に武芸型か内政型か(もしくは上級者向けのうつけ型か)を選び、それにより技能の取得数に制限がかかる。武芸型では内政の技能は多くは覚えられないし、内政型では合戦用の技能を吟味する必要がある。これは他の武将にも通用しており、パラメータが最初に定まっていて、それに応じた技能でしか上げさせることができない。

このあたりの仕様変更は議論を呼んだ。なぜパラメータMAX秀吉になることができないのか? 今まではパラメータMAX秀吉で諸外国を蹂躙することがプレイヤーの一つの楽しみになっていたのに。まぁ文句をいっても仕方がない。しぶしぶ受け入れるプレイヤーは多かった。

面白いシステムとして「派閥」システムがある。信長は部下の意見を集約し、その月の方針を定めるのだが、その意見の強さは部下の派閥によって決められる。藤吉郎時代は最初ひとりぼっちであり、弱小勢力のため意見が通ることはない。ところが仲の良い前田利家や部下である蜂須賀小六や竹中半兵衛らが派閥入りし、さらに出世することで次第に発言力が強くなって意見が通りやすくなる。別派閥の有力武将と仲良くなることで木下派閥へ抱き込むことができるわけだ。せちがらい織田家の社内政治を体験することができるぞ。それにしても信長様、部下の顔色をうかがうようなキャラか?

またRPG要素を強くしすぎた代償か、あろうことか謀反コマンドがなくなった。これには歴戦のプレイヤーは驚いた。いついかなるときにも謀反を起こせるのが太閤立志伝ではなかったのか。我々の謀反欲をいったいどうやって満たせばいいのか? 反逆に飢えたファンたちと呂布と竜騎士カインは藻掻き苦しんだ。

補足をすると謀反ができなくなったわけではない。ストーリーを進めることで本能寺の変が起きるが、いくつか条件が重なると秀吉は信長から酷い叱責を受ける。罵倒され、殴られ、心が折れた秀吉が復讐鬼となって信長に反抗する謀反ルートへ突入する。やはり信長様は部下の顔色をうかがうだけのキャラではなかった。この場合明智光秀が仲間になる。
また、本能寺の変前に明智光秀と仲良くなっておくと、信長のパワハラに心が折れた明智光秀が秀吉を頼ってやってくるルートも存在する。この場合も明智光秀は秀吉の部下になるが、秀吉は信長に謀反を起こさず、そのまま部下として働き続ける。その場合、ラスボスとして信長の暴虐性に気がついた徳川家康が同盟を破り襲いかかってくる。それを撃破すると、家康はまるでRPGの魔王のような意味深なセリフを吐いて事切れる。そして一抹の不安を抱えながらも、それでも秀吉は信長の天下統一がなったことを喜ぶ。この流れはまさしくRPGとして別途用意されたもう一つのエンディングとして完成度が高い。

しかし、世の中にはそれはそれ、これはこれという言葉が存在する。まさしく太閤立志伝Ⅲがこの状態に陥った。

そもそも太閤立志伝はカオスと自由度が売りのゲームであったはずだ。その魅力を削ぎ、RPGとしての完成度を高めたといってもそれは太閤立志伝として求められていた面白さではないのだ。シリーズファンは涙を呑んだ。我々の乾きは謀反と辻斬りで満たされる。前作で辻斬りが制限されて、今作で謀反すら制限された。いったい、我らは何で満たされればいいのか。

このあたりの方向性の迷子というのは、この時期の光栄全体に訪れていたのかもしれない。もう一つの人気シリーズ大航海時代もⅢはずいぶんと毛色が違う作品に仕上がった。それはそれで人気はあったし、面白さもあったのだが、なにぶん太閤立志伝Ⅲは立志伝ファンから忌み嫌われた。ちょっと検索するだけで怨嗟の声が満ちている。インターネット興隆期であったため、その声はとにかく大きかった。

補足すると決してクソゲーというわけではない。ただ求められていたゲーム性と違うものを出してしまった。ハンバーグが盛られた懐石料理を期待していたら、お子様ランチが出てきた状況だ。お子様ランチは大人が食べても美味しいが(なにしろハンバーグにエビフライにチキンライスがついてくる)、不満がでるのは否めない。そういうことだ。



太閤立志伝4



こうした怨嗟の声を開発スタッフはきちんと把握していた。しかしどうすればいいのか? 開発スタッフは丁寧に意見を抽出した。そして一つの要素に目をつけた。
Ⅱにあったおまけの他武将でのモード。これはⅢでは実装されなかった(正確には秀吉の他もう一人、オリジナルキャラの独立したミニエピソードがあるにはある)。しかしこれは相応に評価が高かった。そして彼らにこのとき、天才的なひらめきが再び走った。

別に主人公が秀吉でなくても良くね?

この発想はゲームの根本を進化させることに成功した。当時人気が高止まりしていた遊戯王にあやかり、カード収集要素をミックスした。これは太閤立志伝シリーズととても相性が良かった。

完成したシステムはこのようなものだ。まず、木下藤吉郎でスタートする。しかし他武将と仲良くなったり、イベントをこなすことで相手武将のカードを貰うことが出来る。そして周回プレイを始める場合は、その武将でイチからゲームを始めることが可能になるのだ。その武将の数、メジャーなものからマイナーなものまでかき集め、なんとなんと600人。織田信長のような超強力で最初から大名のキャラもいれば、まったく役に立たずリストラ候補一番手の中年のオッサン(貴方の会社にいるあの人のことではありません)キャラも主人公として扱うことができる。各自のパラメータは固有値が決められており、それとは別に技能があるが、パラメータが高ければ高いほど技能を習得しやすいというメリットがあるし、アイテムを手に入れることでパラメータに補正がかかる。まず金を稼いでアイテムを手に入れてから技能を取得に狙うというのもアリだ。
技能を取得する際、仕事をこなす際はⅡのときのようなミニゲームをこなすことが必要とされる。熟練者ならば低パラメータでもこれをこなすことができるだろう。ミニゲームの数は一気に増えた。

ゲームシステムの根本に手を加えた結果、できることの種類が格段に増えた。町と町を行き来し特産物を売買して利益を得ることもできるし、米の売買を駆使して町の相場を荒し大量の資金を獲得したり、各地の修練場を巡って忍びの術を学ぶこともできる。各地の修練場から術を奪い取った場合は、抜け忍として命を狙われることもある。

あらゆる大名に士官することができるようになった上(複雑化回避のために派閥システムは見送られた)、武士ではない道も登場した。金稼ぎを主とする商人と、戦国の世を影ながら駆け抜ける忍者である。彼らには特別なエンディングが用意されているわけではないが、商人や忍者になったあとも大名に仕えることもできる。その場合、他の武士がもっていない技能でより優位に出世街道を進むことができるだろう(そのためか、ペナルティとして出世スピードが半分に制限される)。

今作のカード要素は登場人物だけではなかった。ほとんど全ての要素にカードが組み込まれた。個人戦は数字の大小と組み合わせと、特殊技能カードの出し合いにかわり、合戦もカードを出し合うものにかわった。技能によって手札が増え、特殊技能カードも増えるようになった。とにかくカード、カードである。日本各地に点在する観光名所を見て回ることで名所カードも手に入る。これを集めることでイベントも発生する。

そう、イベントがとにかく増えた。各地に、各年代に、とにかくイベントが大量に投下された。川中島の戦い、手取川の合戦、清洲会議、大阪城築城、関ヶ原の戦い、そして大坂冬の陣/夏の陣(後者二つに関しては秀吉死後のイベントなので初なのは当たり前なのだが)。山中鹿之助(我に七難八苦を与えたまえ、と言った人)を主人公にすれば尼子氏再興イベントが発生し、真田幸村を主人公にすれば真田十勇士をかき集めるイベントが起きる。
こういったイベントが無尽蔵にある一方で、特別エンディングも用意された。それぞれで天下統一にまで向かうのは大変だ、ということで地方統一でもエンディングが見れるようになったし、キャラによっては特別条件でのエンディングも見れるようになった。至れり尽くせりである。

こうしたイベントの山は往年の太閤立志伝ファンを大喜びさせた。なにより謀反コマンドが我々のもとへと返ってきてくれた。辻斬りもできるようになったし、しかも忍者の仕事に暗殺といういよいよなものもある。これは全国の太閤立志伝ファンも竜騎士も大喜びだ。カードという要素のおかげでRPG・SLG、両輪での進歩が可能になった。

ただし弱点がないわけではなかった。あまりにもカード要素を強く入れ込みすぎた。
合戦や個人戦もカードの出し合いなのはやり過ぎた。あまりに戦いに運要素が強くなりすぎたため、強いカードが出てくるのを願うだけ、というプレイになりがちだったのである。戦略性はなくはないものの、ヘックスで両軍が入り交じる初代やⅡには及ばない、といった評価であった。

そういった弱点はあるものの、4は軌道修正に成功し、シリーズを立て直した功労者となった。そして開発スタッフらは、とんでもないことをやってのける。



太閤立志伝5



4の反応の良さは開発スタッフも把握できていた。PS2にも移植された。この4をベースに作り直した新作を5として提供しようと開発スタッフは考えた。ただのバグフィックスや新規武将追加では新作の意味がない。初代のカオスさ、Ⅱの完成度の高さ、ⅢのRPG要素……歴代のシリーズ作の要素をふりかえり、良いものを全部一本のゲームソフトにつぎ込んでみせた。

その結果、どうなっただろうか? 世紀に残る神ゲーがこの世に放たれたのである。

カード要素は残されたものの、合戦はヘックス戦に、個人戦はミニマップの上で移動と攻撃を交互に繰り返すものに差し替えられた。
武将はさらに増え800人に。それにともないイベントの数がまた増えた。その増えた数の中には武士ではない、商人と忍者と茶人と医者と海賊もいる。そう、今作ではおまけ扱いだった商人、忍者の他、剣豪、茶人、医者、海賊、鍛冶屋という職業が追加され、さらに個別にエンディングが追加された。武将として大名に仕えつつも茶人や医者、鍛冶屋は並行して仕事をすることが可能であり、しかもいつでも切り替えができた。

茶人では茶室を開くことができ、これにより誘った二者を対面させることもできた。浪人を大名に士官させたり、いがみ合う二人を仲良くさせることも可能になった。さらには茶器をつくることができ、高価値のものが出来た場合、これを大名に献上することで代わりに城を貰うことも可能になった。

商人プレイでは金稼ぎが主になるが、大名の依頼を受け城の増築を行うことだってある。各地の町に投資を行うことで、特産物は変化し、さらに町と町の販路を引くことでお互いの特産物が絡み合い、二次加工品と呼ばれる新たな特産物が算出されるようになる。これを貿易することでさらに金稼ぎに弾みがつく。その上特定条件の大名は商人にそのまま家ごと売り払うイベントが用意されている。即、大名の仲間入りだ。

忍者や海賊も全国制覇を行うエンディングの他、支持する大名が天下統一をなすエンディングも別途用意されている。鍛冶屋プレイでは砂鉄を各地で回収しつつ、火薬を調合し、名刀や鉄砲を作ることができる。経験を積み、各地の鍛冶場で秘伝を教えてもらい、どんどん価値を高めていく。帝に捧げられるほどの逸品を作り上げることができたらエンディングだ。ちなみに作り上げた武具には自由に名前をつけることが出来るので、「ロトの剣」でも「Wiiリモコン」でも「クレラップの芯」でも好きなようにつけられる。
医者にもエンディングが用意されており、全国を統一した大名家の典医として仕えるエンディングや、医学塾を開き医学の開祖となるエンディングに、無医村に向かい生涯をそこで過ごす歴戦のプレイヤーなら感慨にふける(なにせ辻斬りした武将の数は百は下るまい)エンディングも用意されている。

合戦は従来のヘックス戦に戻したが、これと一部カード性を混ぜたことで戦術性が飛躍的に伸びた。武将ごとに取得した技能カードを使うことで、強力な攻撃を繰り出したり、一時的にパラメータを向上させたりすることができる。
信長は鉄砲隊を率いるときに「三段撃ち」をすることができ、実際に三倍のダメージを敵部隊に与えることが出来る。明智光秀や竹中半兵衛は部隊を伏せ、のこのこやってきた敵部隊を奇襲する「伏兵」を有している。武田信玄は自軍の全能力を飛躍的にあげる恐るべき技能「風林火山」を有しているし、ライバルの上杉謙信は攻撃力と士気を底上げする「毘沙門天」を持っている。島津家の面子は「釣り野伏」という技能もあり、これを使うと自軍側に敵軍を引きずり込んで取り囲んで叩くことができる。実際に島津義久が得意とした戦法だ。
これらの技能カードは所持している武将に師事をすることで取得することが可能だ。上手く渡り歩けば全てを取得することすらできる。

とにかくやれることは多岐にわたり、それぞれに大量のイベントと結末が用意されている。戦国の世を再現したゲームの中で太閤立志伝5は比類ないレベルの出来に仕上がった。
そしていけるところまで突き抜けた太閤立志伝は「戦国時代を舞台にしたなんでもできる人生追体験ゲー」の域にまで達したのである。太閤立志伝シリーズファンは夢中でこの神ゲーに酔いしれた。一度クリアしただけではその内容の1%も味わったことにならない奥深さに驚嘆した。続編が出るまでこのゲームを最後まで味わいきることができるか不安になるものもいた。
しかし心配は不要だった。

なぜなら、続編が出ることはなかったからである。

ほとんど完全無欠といっていいこの太閤立志伝5には唯一、弱点があった。売上が振るわなかったのだ。当時PC市場はイマイチ煮え切らず、家庭用ゲーム機の興隆を横目に縮小化を続けていた(なお数年後の2009年、PCゲーム流通の最大手ソフトバンクがPCゲームの取扱を辞めた。その影響で、ソフトバンクと取引していた日本ファルコムがPSPへと主軸を移している。光栄はPCゲームのパッケージを売り続ける希有な企業となった)。
太閤立志伝5もPS2に移植されたが(時間をあけて2009年にPSPへ移植されている)、この緻密さとカオスさが同居したゲームデザインは、あまり多くのユーザーを惹きつけることに成功しなかった。当時の売れ筋タイトルといえばFF、ドラクエ、キングダムハーツといったRPGに、ウイニングイレブンのようなスポーツゲーム、そしてコーエーのもつ三國無双シリーズ。当時のユーザーの嗜好にあまりマッチしていなかった。

三國無双が100万本、戦国無双が50万本売れる横で、太閤立志伝5はPC版PS2版全て含んでも8万本だった。これは有料オンラインゲームである「信長の野望オンライン」の登録者数(11万人)よりも下だった。コーエーが無双シリーズに、オンラインゲームに注力するのは必然だった。太閤立志伝はシリーズ打ち切りにあった。開発チームは解散された。

シリーズのファンは嘆き悲しんだ。我らの力が及ばないばかりに、愛する太閤立志伝が死んでしまった。彼らはファンの皮を脱ぎ捨て、熱心な信者となり布教活動へといそしんだが、売上は伸びることはなかった。

そして時間は信者たちを無慈悲に襲った。

PS2が次第に壊れだした。PS2の本体価格は2012年の生産終了を期にプレミア化し2015年には旧モデルのサポートも終了した。それならばPC版は、とも思うが、WindowsXPベースで作られた古いゲームをWindows7以降で動かすのはなかなか難しかった。32bit版を使っているユーザーならばさほど不具合なく動かすことができたが、時代は64bitだった。太閤立志伝5を動かすために色々と試行錯誤する羽目になった。
そして2015年から正式発表されたWindows10ではセキュリティでのアップデートがなされた影響で太閤立志伝5は起動がそもそも不可能になった。しかもその後Windows7に戻しても起動できなくなるおまけつきだった。対処法はなくはないが、じわじわと時間が、この神ゲーを遊べなくさせていった。

山中鹿之助は「我に七難八苦を与えたまえ」と願ったが、信者たちは願ってもないのに勝手に七難八苦を与えられた。涙を拭いながら壊れるPS2とWindowsに立ち向かうこととなった(補足するならPSVITAでPSP版太閤立志伝5がダウンロード購入することが出来たので、これがこの時代、まともに太閤立志伝5をプレイする唯一の方法だった。テレビ出力できないのが難点ではあるが)。

天は我らを見放したか。
信者たちは実らぬ布教活動に心が折れ、ちりぢりになっていった。それらを良い思い出として、新たな新天地であるオンラインゲームやソーシャルゲームに勤しんだ。ああ、しかし、もう一度、太閤立志伝がやりたい……。そう願いながら。


突如としてその知らせは響き渡った。太閤立志伝が復活するというのだ。それも信長の野望の1バリエーションとして。


信長の野望・創造 戦国立志伝 -だが、しかし-


2015年12月、雪が日本列島を襲い、太閤立志伝信者の心にも溶けない雪が積もり積もった頃だった。突如、神であるコーエーテクモから神託が下った。

2016年3月に武将プレイを追加した信長の野望 創造の新バリエーション出すよー。太閤立志伝要素を組み込んだ新作だよー。

そのゲームの名前は信長の野望・創造 戦国立志伝。その名に信者はいろめきだった。立志伝!? 武将プレイ!? 箱庭内政!? もたらされる情報は雪解けを促す暖かな陽光だった。我らの春が、太閤立志伝の春が10年の長き冬を経てようやく訪れたのだ。 

―今覚えば、疑うべきだった。

各地にバラバラになった信者たちは再集結しはじめた。
集え猛者たちよ。かつて謀反と辻斬りでならした手腕をこの世に再度見せつける時がきた。神託に従い、こぞって戦国立志伝を予約注文した。発売前の3月には完成披露会が行われ、さらにはニコニコ動画でその内容を詳細に解説する放送もなされた。このとき

本作では「太閤立志伝」や「三國志」シリーズのそれとは切り口が異なっており,「信長の野望」ならではの内容に仕上がっているとのことだ。

https://www.4gamer.net/games/328/G032841/20160315108/

という神の声に一抹の不安を抱いたものもいたが、口には出さなかった。そんなことでこの絶好の機会を不意にすることなど、できるわけがなかった。彼らは10年間待ったのだ。

リコエイションゲームよ! 我々は帰ってきた……!!

かくして信者達の力を得て、信長の野望 GP-02戦国立志伝 アトミックバズーカを構え、2016年3月24日に放たれた。



次の瞬間、集結していた信者たちは次々に焼き尽くされていった。その照準は、彼らに向けられていたのである。


この戦国立志伝、太閤立志伝とは似ても似つかない別物に仕上がっていた。出来ることはある。確かに通常の信長の野望とは違う切り口でゲームシステムの拡充に努めている。
一武将を選択し、領土の運営を任され、そこを発展させていくことで配下の兵の動員数を増やすことが出来る。運営にも金がかかるがこれは基本自分の領土から産出されるものでまかなわなければならない。金銭や木材はリアルタイムで産出されていくので、それを集めて新しい施設を領土内につくる。その施設が新たな金銭らを生むので、さらにそれを元手に別の施設をつくる。施設の発展をブーストさせる特殊施設、というものもあるので、土地の区画を見ながらそれらを効率的に配置していく……というものだ。
ときおり突発的なイベントも発生し、木材が足りなくなった仲間の武将に分け与えて友好度をあげたり、農民の願いを聞き入れて川の水を荒れ地に引いてボーナスを獲得したりもする。

もちろん月一で信長様他大名から主命を授かる流れは太閤立志伝同等だ。その仕事をこなすことで信頼を授かり、いずれは城持ちへと出世する。
その仕事はあまりにも淡泊すぎた。ミニゲームは一切合切削除され、「米を納めろ」「木材を納めろ」「兵士を集めて城攻めに参加せよ」といった類いのものばかり。
そもそもこのゲームに武将単位の移動の概念はなく、領土から離れることがない。そのため辻斬りや、座での特産物売買といった要素が存在しない。米を転がしながら無限に資金を算出することもできなくなった。
イベントは一気に縮小化され、内容は淡泊なものにかわった。RPG要素はほとんど消え去り、主人公はセリフらしいセリフを削られ、歴史ムービーを見せられるようなものだった。

肝心の箱庭内政も初期配置されてる道や川から、逆算して最適解の施設を建てるだけ、という単純なものだった。自由度らしいものはそこに存在しなかった。そもそも領土マップは全国図から切り離されて存在しており、城主や大名になったあとは領土マップを見る機会が激減してしまい、楽しむ要素としては機能しない。

しかしあくまでこれらは戦国立志伝で追加された要素である。大名でプレイする場合はこういった要素から切り離され、配下に指示を出し戦略を練る従来の「信長の野望」らしい(まぁ元々が創造ベースなのだから当然といえば当然なのだが)本格的なSLGプレイを求められる。追加された要素がどれもこれも外れで、立志伝を名乗るには致命的に味気ないものばかりだっただけだ。
しかしそれが、10年間耐え忍んできた信者にとってどれほど苦痛だっただろうか。耐えに耐え、ようやく見えた光明に誘われ集まったところを、包囲殲滅させられたのである。鬼島津が褒めたたえるほどの美しい釣り野伏であった。

そもそも太閤立志伝5の売上は8万本程度だった。わざわざ立志伝を名乗るほどのネームバリューがあったようには思えない。なぜこのような似つかわしくない要素に立志伝と冠したのか、神たるコーエーテクモの考えは謎である。しかし聖書にはこうかかれている。

神を試すなかれ 神を疑うなかれ

神のお心は人には図りかねない。そこを考えても詮無きことだ。我々は大川の流れに翻弄される小さな一枚の葉でしかないのだから。


しかし小さな葉は、時として川の流れを変えうる力を秘めていた。一枚だけならいざ知らず、それは数千、数万枚という枚数であるならば……。


太閤立志伝5-DX-



2022年2月10日、あの終末の日ラヴォスの日から8年。それでも生き残っていた立志伝信者たちは戦乱の世に嫌気がさし、人里離れた場所へと隠れ住んでいた。もはや願いを行う気力すら尽きた。眠れない夜を数えきれず過ごした。あの戦いに勝利者などいなかった。

しかし彼らの元に大いなる福音ニンテンドーダイレクトが届けられた。まったくの予告なく発表されたその内容は、あの太閤立志伝5が、現代のWindwos10と、Switch向けに移植されるというものだ。しかも、登場武将を増やし新規イベントを収録したDX版として。

―ありえない。何かの間違いではないのか?

訝しがる者もいた。しかし公式ページが立ち上がり、間違いなくあの5の移植であることが明言されると、彼らの心も燃え上がった。ようやく、ようやく我らの悲願が成就されるときがきた。多くの信者の凍えきった心が、熱く震えだした。


しかしいったい何があったのか? この発売には日本国内だけではない、海の向こうの事情も絡んでいた。

実は太閤立志伝5は翻訳され、台湾でも発売されていた。さほど大きな売上には繋がらなかったが、「日本のゲームの中でなかなか面白いものがある」程度の評価を獲得することに成功していた。
時代は流れ、PC上でゲームソフトを管理するプラットフォーム、Steamが世界的に浸透してきた。コーエーテクモはこのSteamに過去作である信長の野望や三國志をリリースし、相応の売上と評価を得ていたのである。

台湾の他韓国もコーエーテクモのSLGの面白さを実際に触れた。そして過去作に触れる中、未だ移植が完了していない神ゲーの存在を把握した。「そんなゲームがあるならば是非やってみたい」という声が、次第に起き始めた。そして実際に海の外から神たるコーエーテクモの元へとやってきたのである。

そう、信者達の布教活動は、無駄ではなかった。彼らの活動により放たれた種子は、Steamという季節風に乗り海を渡り、遠く韓国や台湾、中国で萌芽したのである。
顔も名前も知らぬ戦友は、共に声をあげ、神を動かそうとしていた。太閤立志伝信者は、もう孤独ではなかった。海の向こうの仲間がついてきてくれている。もう一度、もう一度戦える。そんな彼らに対して神は判断を下した。

日本国内だけでなく、アジア圏で売れる見込みがあるのなら、移植してもいいんじゃね? 太閤立志伝もちょうど30周年だし

かくしてSteamと、アジア圏でもっとも普及台数が多いSwitchに対して太閤立志伝5の移植が決定された。日本語のみならず、中国語(簡体字・繁体字両対応だ)対応だ。

2022年5月19日。太閤立志伝5DXは発売された。前評判からSwitchのパッケージ版が品薄になるという事態が起き、移植元がPC版ではなくPSP版であったため、コントローラー準拠の操作性となってしまったと、細かな問題はあったが、些細なものだった。その後アップデートで修正された。

太閤立志伝5DXは続編が見込めるほど大量に売れただろうか? それはまだわからない。神の決算ジャッジメンド・デイが出るまで今しばらくの時間が必要だからだ。

ただわかることはSteamの掲示板には日本語を凌駕する大量の中国語が書き込まれ、このゲームについて熱く語っているということだ。

日本とアジアの太閤立志伝信者らに春が訪れた。これは一時の、かりそめの平和でしかないのかもしれない。いずれまた、吹きすさぶ吹雪の冬がやってくるのかもしれない。しかし長らく、長らく戦いつづけた彼らに対して一時でも平穏な時間が与えられたのは喜ばしいことである。彼らは、平和を謳歌する資格を勝ち得たのだから。

彼らに平和と平穏を。そして彼らは今日も、謀反と辻斬りに精を出すのだった。

-終わり-

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