一日一説
一日一話、超短編小説を更新したものをまとめています。
「廊下は走るな。走りたければ、フィールドを走れ」 そう言われてサッカー部に入ったのだから、サッカーを始めた理由はそれに尽きる。それというのは、個人的な欲求として走りたかった、ということではなく、他人から受けた指図を指す。 えらく後ろ向きだ、という批判を受けそうなものだが、そもそもきっかけ自体にたいした意味はない。山があったから登る。それでいい。山に登らざるを得ないそいつの情念なんて、誰も聞きたくない。聞いたところで結局、左右の耳を貫通するだけだ。 ロッカールームで肌に
ヴァンパイアであることは案外バレにくい。 人より発達し過ぎた犬歯を見せびらかさなければ、日常生活において存外心配するほどのことは起こらない。 この日も職場の同僚と飲むことになっていた。自宅の最寄り駅から3駅乗った先で降りて8分ほど歩いたところにある居酒屋だった。店に着くとすでに同僚たちは席についていて、「おつかれー」と挨拶をされた。長袖に全身黒色だったため、半袖半ズボンの同僚たちから「暑くない?」と毎度のこと心配される。 「とりあえず生」を全員で頼んで、飯は適当に各自
「まてコラァ!」 「く、ハア・・・・・・ハアハア」 揺れる視界。噴き出す汗。全力疾走なんていつぶりだ。尽きていく自分の燃料と風を切る速度。対称的に、あれこれと余計な考えばかり湧いてくる。 それは例えばこうだ。捕まったらどうなるんだっけ。今時速何キロ出ているのか。あの人かわいい。残りの有給休暇はいくつだ。甘いものを食べたい、できればいちごがたっぷり入ったパフェなんかがいい。でも安くてカロリー低めなやつ。いや、こんなに走っているんだ少々構わないだろう。 メインから一本脇道に
購買で買ったバニラチョコアイスクリームを放課後の教室でほおばって首から上をキンキンに冷やしながら若本、鈴奈、高繁、稲元たちと喋るのが俺たちの日課。ここまでがホームルーム。開け放した窓からは涼しげな風が流れてくる。 「90点以上が取れんまじで。もういっそモノマネしたほうがええんやろうかって思うんやけど」 「いやそれは微妙やろ。ビブラートきかせんとダメなんやって。あとこぶしとかしゃくれ」 「ハハしゃくりやろ。なんやしゃくれって。出た高繁知ったか」 「うっせーわざとやし。てかさ、
宇宙人であるマサ雪の唯一の欠点は人より多く靴の底が減ってしまうことだ。 しかしマサ雪は直接靴を履いているわけではなく視覚的に靴を履いているように見せかけているだけなのでこれは半分正解で半分誤りといえる。 そもそもマサ雪と人間は似ても似つかない。 だから壁に映写するように360度偽りの姿でマサ雪は過ごしていた。 毎朝目を覚ますと前日と異なる恰好になるように自分をプログラムしていた。 そしてそれがマサ雪にとっても当たり前になっていたため彼は異常に気付けなかった。 四半世紀ほど地球
「嫌なことは全部吐いちまえ」 そう言われたから、全部出した。結果、なにも出なかった。 膝立ちで俯くあたしを前に、所在無げに立ち尽くすのがうざく感じた。さっきまで救世主みたいに見えた横顔は、乾いた果物にしか見えなかった。 追いすがる彼をその場に残して、あたしは帰路へとついた。歩けば三十分はかかる道のりだったけど、自然と足は進んだ。 日曜の夜。刻一刻と過ぎる時間はいつもより損してる気分にさせる。 でも今日は違う。歩き慣れない道を一人ふらつきながら流されていくこの瞬間が
睨み合う二人の男。空気清浄機の音だけが狭い室内を漂う。 「手を上げろ!」男の剣幕には切れ味があった。 「嫌だと言ったら?」対する男には余裕がある。 「上げたほうが身のためだぜ?」男の指に力がこもる。 「違うね。お前のためだろ?」男の表情には涼しげさすらある。 「後悔するぞ!」男はほとんど叫んでいた。 「さあ、どうだかな」口元に微笑をたたえたまま男は自分の足元を見つめている。 力強く握られた拳を解いて、観念したように男は背を向けた。 「本当に後悔しても知らねえぞ。そいつは
「こんにちは」 「あら、勝家さんこんにちは。しかし、ほんと暑いですわねー」 「そうですね。なんとも嫌な暑さでつい外出が遠のいてしまいますね」 「あら、それにしてはすっごいおしゃれなさってるじゃないですか、勝家さん。どちらにお出かけ?」 「ちょっと賤ヶ岳書店まで」 「まあ。勝家さんともなると書店に行くのにも気を抜かないのね。あたし恥ずかしいわ。見習わなきゃ」 「そんな大袈裟ですことよ。秀吉さんだってきれいなお召し物着てらっしゃるわ。どちらのもの?」 「これはTAIKOってブラン
「穴見さん。やっぱりないですって。もうあきらめましょうよ~」 アスファルトにぴったり這うようにして排水口の中につっこんでいた頭がぬっとりと抜け出てきた。 「お前ねえ。自分が取ってきた依頼をお前が諦めてどうするんだよ!」 電柱に照らされた穴見さんは怒っている風だった。口を半開きにしたままむすっとした表情で、半袖シャツを肩まで捲った腕で顔の汗を拭っている。ハンカチを貸そうかとも思ったけど、あまり清潔そうな状態ではないのでやめた。 「はい。あきらめません。だから穴見さんもあきら
たまたま目についた広辞苑で頭をぶん殴った。重力相まって振り下ろされたそれは、泣かされた小学生がよく先生に訴える「叩く」なんてもんじゃなく、完全に「殴る」だった。 広辞苑で殴られたそいつは蛙みたいに小さく鳴いて地べたへ倒れ込んだ。 凶器の広辞苑を手にした当初は、叩かれた頭がズンと沈んで、かわりに「いってーよ。ばーか」なんて優しい抗議が返ってくるものとばかり思っていたから、その点は少々驚いた。実際は、殴られた勢いそのままに首が折れるようにひん曲がった。曲がったというか伸びき
うろこ模様の道が続く路地は暗い。両端に連なる家々は迫るように道を圧迫している。窓から漏れる光をのぞけば、まともな明かりは空に浮かぶ月だけだ。背の高い街灯は忘れた頃合いに出現し、ぼんやりとした灯をその頂きに掲げるが、それ以外の部分は闇と同化していたため、宙に火が浮いているようだった。視線をうろこ道からほんの少し先へ伸ばすと、道は建物の影へと吸い込まれるように消えていた。 遠くから犬の二三度吠える声がする。静まり返った世界にそれは十分すぎるほど響く。犬は己の声があまりに盛大
パパからの手紙が届いた。月に一度、決まって木曜日に真っ白な封筒に入ったそれは送られてくる。 これを書いているであろうパパの顔を最後に見たのは、あたしが小学4年生のときだったから10歳。パパと一緒に暮らした時間と離れ離れになってからの時間がとうとうおんなじになってしまった。 パパはかれこれ10年ばかし、刑務所にいる。 個人の能力向上、経験機会の確保がなによりも叫ばれ続けた現代。個人の価値を最大化させることで国の競争力を高め、人生の謳歌を奨励する価値主義が繁栄した時代で
人の家に棲みついてから5年になる。棲みついて、と言うからには勘違いしてほしくないのは、「棲みつく」という言葉のニュアンスから窺い知れるように、けして同意の上、ではないということだ。もっと言えば、棲みつかれている側、つまり家主たちは私が棲みついているということを認識していない、できていない。つまり、私は不法に彼らの家の一部分に潜んでいる状態なのだ。 私が棲みついたのは古い日本家屋の縁側の下から入った、地面との暗いスペースだ。そんな窮屈なところと思われるかもしれないが、木造建
「またいつか会えるよ」 そう言い残した彼女の後姿を、僕はいまでもはっきりと覚えている。 彼女はそう言ったきり、振り返らなかった。 あれから10年が経って、世界は、日本は、だいぶ変わった。 10年。 たったの10年と言ってしまえば、そうなのかもしれない。いよいよ20代の終わりが見えてきた僕にしてみたら、10年というのはどこを切り取っても人生の起伏のほとんどを占めている、アイデンティティーの塊みたいなものなのだけど。 では彼女にとってみればどうだろう。彼女にとっての
「ここはどこだ」 目を覚ました彼らは辺りを見回しながら自然と口々にそう呟いた。 高尾もなぜ自分がここにいるのかがわからない、そんなうちの一人だ。 高尾は今室内にいるということだけを理解していた。なぜなら目に映る壁も天井も床も、そのどれもが真っ白に塗りたくられていたからだ。 しかし、それは誤った表現だと、高尾はぼんやり眺め続けるうちに思い至った。この白さは「塗られた」なんて言葉で形容されるものではなく、色が無い――文字通り、無色を表しているかのように無機質だったからだ
ピンポーン。不在だ。時間を指定されないのも困りものだな。 飯田は手早く不在票を殴り書くと、ドアに開いた小さなポストへと投げ入れた。 ネット注文が当たり前になってからというもの、運送会社の抱える業務は時代を代表する激務へと変貌した。とはいえ、一時期に比べればこれでもだいぶマシになったほうではある。世間の注目を浴びるまでは、終わりの見えない仕事に心をすり減らして姿を消した同僚が後を絶たなかった。 だからこれぐらいで愚痴を言ってちゃいかん。飯田は自分に言い聞かすようにかぶ