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SNSと距離感

SNSって人との距離感をバグらせませんか?
これコロナが流行りだしてからずっと思っていたことです。

a.距離感ってなんだっけ

コロナ前までは、簡単に人の投稿とかつぶやきを無視できると言うか、そこまで気にしていなかった気がします。

それは例えば、その人が何をしていたとしても、そこに一枚の明確な壁があった気がするんですね。
”あ、ここ行ったんだ。へぇ、いいなー僕も行きたいなー、食べたいなー”

以上! 

みたいな笑
そんな感覚だったんです。だけどコロナ禍を経験した以上、在宅で何かしらのデバイスを通して他者とつながるということが当たり前、ニュースタンダードになりました。
これが、すごい違和感であるはずなのに、当たり前だと思わなければいけない状況になっている。


b.──それで?

それでも、僕は当たり前だと思いたくない!この状況を笑

この気持ちをわかってほしいという熱い何かがどこかにあるんです。わかってくれる人いるのかなー。

じゃあ自分でSNSの利用頻度を変えたり、SNSに対する意識を変えればいいじゃん。っていうのもそうなんですが……

周りを見てみたら、みんなSNS、見まくってるじゃないですか。それで、電車とかでSNSを見て静かにしていなきゃいけないみたいな雰囲気を作り出すじゃないですか!あれは、どうやって見て見ぬふりをすればいいんでしょうか?

いや、人は人、自分は自分。なんていう古臭い説教は勘弁してほしい。

なんだろうな、これは、この気持ちは………


c.承認欲求のかたまりやないかい

結局のところ、SNSさんは、皆の承認欲求コントロール組織なんですよね。

自分が気持を抑えることができずにこうして書いているのも、承認欲求の為せる技。してやられたり…笑

ニュースタンダードとしての人との繋がり方が悪いとは思いません。けど、コロナ前のSNSとは少し違うような気がする!という意見に共感してもらえたら嬉しいな。

日常はつづいていく

まあ、こういう話をしているあいだにも世界では色々なことがおこり、はじまり、おわり、すべてはつづいていっていますよね。

惰性でSNSを触ったり、SNSのためにやりたくないことをするのはええ加減にせーよ、いうてます。

哲学者のマルクス・ガブリエルは、著書で

ソーシャルメディアは人に、本人が望まない自己を押し付けている

『つながり過ぎた世界の先に』PHP新書

と記しています。だから、日常という永続的なものに対して、もう一つの世界でもう一人の自分をつくっているようなものなんだと、しっかりと理解することが大切なのでしょうね。

だから、目の前の友人や家族と話しているときに、変に周りの目を意識しすぎるのをやめて、ありのままで向かい合いませんか?

うわべだけの関係、発言だけに目を光らせておいて、その他の情報を認識できていない人は、そのことに気がついていますか?

まあ、とは言っても僕やあなたひとりの力じゃ、SNSなんていう巨大な宗教に太刀打ちできるわけがありません。だからこそ、もっと温和に相手を尊重して手を取り合っていきましょ。

少し気持ちが吐き出せた気がします。これからもこのことについては考え、感じて、気持ちや意見をSNSに共有していけたらいいなと思います!


読んでいただきありがとうございます。言葉にするのは難しいけど、伝わったら嬉しいなと思いながら書いています。

少しでもいいなと思ったらハートをお送りください!

小説も書いているので、いつかまた皆さんに読んでもらえると幸いです

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