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韓国文学は救いようがない場面が多い理由
韓国文学から感じるもの
映画『名もなき復讐』から感じるもの
【名もなき復讐】
絶望のどん底をさまよう1人の女性の復讐劇を描くサスペンス。射撃競技の代表候補選手だったジウンは、交通事故で両親を亡くし、自身も事故の後遺症で言語障害となってしまった。射撃の道も断たれ、工場で働きながら、無気力な毎日を送っていたジウンは帰宅途中に3人の暴漢に襲われてしまう。男たちから非道な暴行を受け、なんとか警察にたどり着くが、刑事はジウンをまともに取り合おうとしなかった。絶望の中で帰宅するジウンを再び暴漢の1人が襲う。ジウンは残りわずかな力を振り絞り、必死に抵抗するが誤って男を殺してしまう。悲劇の主人公ジウン役を「Mimi 劇場版」のシン・ヒョンビンが演じる。
韓国映画には、この手の復讐劇が多いため、マヒしている感もあるが、韓国文学界においても、「救いようがない」と思われる作品が数々存在します。
【Amazonプライム『名もなき復讐』】
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韓国文学に触れる前に、この映画について語りたいと思います。
この映画は、2016年公開の作品です。
あらすじに関しては、上記に記した通りですが、ネタバレを含んでお話しした方が理解しやすいので、ネタバレしてきます。
お気をつけ下さい。
なんといっても、主人公である、シン・ヒョンビンさんの迫真の演技によって物語の中に引きこまれる作品ですが、主人公であるジウンは事故によって言語障害となります。
これは両親と車に乗っていての事故であり、この加害者の一人である女生徒は友人関係をきずくことになるのです。
レイプや暴行といった、韓国社会の闇を描いている作品ですが、注目すべきは「女性蔑視」を徹底的に行なっている韓国社会です。
これによって、「女性の気持ちが理解されない社会」というものを、男性が中心となっている社会がつくっているため、圧倒的に女性が生きづらい社会になっているということです。
「暴行事件なんて、半分は女の虚言だ」
とジウンがレイプされた後に駆け込んだ男性刑事の口から発せられています。
弱者である女性を、必要以上に敬う必要はないと思う一方で、被害者となった人間の言葉を信じない警察というものに、憤りを感じるためイライラとしながら映画を観る羽目となります。
その証拠に、刑事の中に女性刑事が一人出てくるのですが、その女性刑事の妹もまた、強姦事件によって言語障害となって入院しています。
女性刑事も「社会は女性の気持ちを理解などしてくれない」ということが大前提として描かれており、ジウンの犯行を知った後も彼女を庇い続けるのです。
こうした女性の生きづらさを見ると、少し前の日本のように思えてなりません。10年前のアメリカが現在の日本。日本の10年前が韓国の現在。そのように言われることもありますが、まさにそれが本当のことであるかのような気持ちになります。
しかし、現在の日本の社会も過渡期にさしかかっており、女性の立場を守ることは厳密にいえばできているとは言い難い状況が続いています。
その理由には、必ず強姦やレイプと言った言葉が入り込んでくることになり、『草食系』といわれる男性が出現してきたころから、社会の中で必死に一人で生きる女性には、安心できる材料が増えたのではないでしょうか。
現在は中性的な男性が増えてきており、それと共に、皮肉にも少子化が進んでしまっています。
現代日本の社会で、少子化の主な原因として叫ばれている、「貧困」や「経済格差」などよりも、男性が中性的になってきたことが一番の原因ではないかと思うのです。
その中性化を解消しようと考えると、暴行事件が増えることになるため、現代の社会では中性化を進めて少子化である現状を飲み込むことが一番の妥協案であることに多くの人が気づいているのかも知れません。
韓国文学から感じるもの
韓江(ハン・ガン)さんが書かれた小説『別れを告げない』でも、この作品は女性同士の友情を描いているものであると共に、「記憶と哀悼を抱きしめ、痛みがつなぐ未来」としている。
「今日的でリアルな生き難さを抱えた二人の女性の結びつきが、激甚な歴史の痛みを通過して、生死をまたぐ愛の状態にまで昇華される」
とあります。
キョンハとインソンは、心の裡ではお互いに支え合って生きているが、最期まで寄り添うことができないむなしさと悲しみが見事に描写されています。
『別れを告げない』という作品は、済州島4.3事件を元にした作品であり、現代の韓国の現状とは違っているようにも見えますが、実際には現代でもそうした女性の生きづらさを感じている人が多くいるのです。
そのため、この作品は現代でも評価されるのであり、今を生きる女性を中心とした社会の支えとなっています。
絶望の中で、ジウンと女刑事が支え合いたいという思いを抱えながらも、支えることができない歯がゆい現実と、実際には一人で向かい合うことになる社会への反発を描いていた『名もなき復讐』に通じるものがあるようにも見えます。
こうした、韓国作品を見ると、「鬱になる」「絶望しかない」と捉えられて、受け入れられないという人が一定数いらっしゃるようですが、それは現代の日本の社会で甘やかされた私たちのエゴだと考えるべきだと思うのです。
こうした生きづらさを感じることなく、生きることができているのは、きっと何よりも幸せなことであり、現代でもこのよう鳴きづらさを感じて生きている人は自分が思っているよりも余程多いのだと知るべきなのです。
韓国文学は、性の描写や暴力の描写が激しく、見るものを疲弊させますが、それでも目を背けてはいけない本質が、その裏には隠されているのではないでしょうか。
韓国文学、韓国作品に、目を向ける一助になりましたら幸いです。
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