道半ば
「道半ばにして」は無念なのか
人生は常に道半ば
「道半ばにして、さぞかし無念であったろう」
という言葉を耳にする。
何かに打ち込んでいた人が、その完成を見ないままにその場を去った時、かけられる言葉として発せられることが多い言葉と認識している。
これは、無念と言っている以上、不幸せということになるのだろうか。
完成を見ないままだから、『道半ば』なのだとしたら、『道』が終わった直後に終わることが幸せなのだろうか。
そんなタイミングよく、人生とはきりが良いところで区切ってくれるものなのか、と問いたくなる。
『思えば、孤独は美しい。』
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糸井重里さんも『思えば、孤独は美しい。』の中で言っておられる。
「世の中って『道半ば』だらけだよなぁ。」
自分の見えている道だけが道ではない。
自分の前にも道があって、自分の後にも道がある。
いつも自分の立っている場所は、道でありたい。
非常に深く、考えさせられる言葉だと感じた。
最後までやり通すこと
だからと言って、途中で投げ出すようなことはしたくない。
きっと多くの方も、そう思っているはずだ。
中途半端は嫌だ。
しかし、「どうせやっても無駄」と言って、やらない人や、やっていても「ゴールが見えないから」と投げ出してしまう人が少なからずいることも事実だ。それは何を意味しているのか。
多くの人にとって、目的やゴールというもののイメージは、『ゴールテープを切る』ことだと思っている。人生のうちに、ゴールテープを切った経験がないのに、イメージではゴールテープを切っている。
言ってみたら、人生のゴールはない。
人生の終わりはあっても、ゴールは無いと思っている。
だから、ゴールテープを切ることもない。
最後まで走りきっても、人生は『道半ば』なのだ。
だから私たちは走りきるべきなのではないだろうか。
それは、走り続ける理由にならないだろうか。