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理解できない思考になった最愛の人

最愛の人が自分の想像を超えた考え方になった時

『価値観』という言葉がある。
私は、この言葉に嫌悪感を感じている。
できる限り、使用したくない言葉として認識している。
それは、あまりにも便利すぎるからだ。
「ヤバい」「エモい」と大差なく使用できる。
何でも「価値観」と言うことによって、片付いてしまう。

そもそも価値観って一体なんだろう。
価値が同じ人? 目の前のものに対して評価基準を同じだけ持った人?
そのような人がいるのだろうか。

それでも、「価値観が同じだから」と付き合ったり結婚したり。
人間関係を築く上で、価値観が同じ人と関係性を持つことが多い。
ここで言う「価値観」というものは、「同じ食べ物が好き」「同じ趣味を持っている」「同じセンスを持った人」などといったものである。
つまり、“共感ポイントが多い”ことと同意となる。
共感できるから、付き合ったり、結婚するのか。
それならば、共感できなくなったり、共感できなくなったら離婚するのか。
人の思いは、そんなに簡単ではない。
一度思った相手を、簡単に手放すことができない。
それを繰り返せば、相手は何人いても足りなくなる。
「相手を何人も変えている人」と他人から言われることが嫌だから、我慢するのか。それとも「相手を何人も変えることは面倒」だから我慢するのか。何れにしても、共感できなくなった時、すぐに相手を変える人は少ない。
それは、相手を思ってのことなのか、自分が可愛いのか。
他人を好きになるというのは、本当はどういうことなのかを理解できない。

だから「価値観」という言葉でその隙間を埋めようとする。
何でも「価値観が合う人」と言っておけば、万事解決するからである。
「価値観」という言葉には、そうした恐ろしい思考を引きずり出してくる力がある。
「難しいことは、考えないようにしよう」
思考に行き詰まった人が、苦し紛れに見出すのは、いつも思考停止である。
考えないようにする。
一言で片付ける。
こうすることで、次の瞬間、笑顔で他人と話すことができる。
だからこそ、考えない。

最愛の人が、自分の想像を絶するような思考になった時、自分はどうするべきか。
「価値観が合わなくなった」と言って片付けるのか。
そうではなく、それに向き合おうとする。
しかし、自分の想像を絶する思考は、自分の頭の中では想像すらできない。
理解したいのに、理解できない。
どのように考えるべきなのか。考えても見えない。
いつまでも時間をかけるわけにもいかないジレンマと、どれだけ時間をかけても理解したい気持ちが交錯する。
「価値観が合うから好きになった」のなら、価値観が合わない今は、好きではないのか。いや、そうではない。
好きだ。
しかし、今やどこが好きなのか、言語化できない。
言葉は無限に存在するのに、適切な言葉が浮かばない。最愛の人であれば尚更である。
このような状態になった時、「価値観が合わないのに好き」な状態になる。
好きになる要素に、価値観など関係ない。そう言わざるを得ない。
好きなのは、価値観ではなくて、その人そのものだ。
例え、理解できないような価値観に相手がなったとしても、それでも好きになるのが人間だろう。そこに理屈は存在しない。

この思いが、愛情なのか友情なのか。家族愛なのか恋愛なのか。
このような“想いの振り分け”には、何の意味もない。
人として好きな人であり、それは抽象的でありながら具体的な、最も繊細な心の一部分である。心がどこにあるのか、説明がつかないように、心の説明はスッキリとつけることはできない。
「わかったような気がする」ことに溢れたこの世の中の、ほんの一部に過ぎない。
私たちは、わかったような気になっているだけなのである。
世間のことも然り、自分の心さえも、本当のところはわかっていない。
ましてや相手のことなど、「全てを理解しよう」などと考えるのは愚の骨頂である。

「好きに理由はない」
「価値観が合うから好き」
「お互いを高めあえる相手だから好き」
このどれも正解なのではないだろうか。
相手を完全に理解することはできない。
それならば、自分の気持ちはというと、それさえも完全に説明がつかない。
それなのに、人を好きになる。
これほど不思議なことが、世の中にあるのだろうか。

神秘的でありながら、説明できると信じられている感情を、考えることを放棄して『価値観』で片付けてしまうことに、深く疑問を投げかけたい。
自分の気持ちすら、わからないのに、何でも知っていると思ってしまう浅はかさ。それを言語化して表現していることが、『価値観』になるように思う。
自分と同じ価値観の人なんて、この世に存在しない。
自分のことを説明できないのに、自分との共通点を探すことが、どうしてできようか。
相手のことを理解したい。
自分のことを理解したい。
人は考え続けて、それでも生きていくことを迫られている。苦しいものなのだ。

日々を楽しく生きていきたい。
私はそれでも、考えたい。

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