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オチのない話とオチがある話

オチのある話にはメリットしか見当たらない

最近はライティングを勉強しているため、感想や意見が中心の日記のような記事を書くことよりも、読者メリットのある記事を書くことが多い。
読者メリットと一言で言っても、明日から行動が変わるような話もあれば、生き方が楽になるような考え方まで様々ある。
初めは、読者メリットのある話を探すことに苦労したのだが、ある時“オチのある話”には教訓が詰まっていることに気がついた。
このお話をしたいと思う。

“オチのある話”と言って、真っ先に浮かぶのは、やはり関西のお笑いではないだろうか。
何十年も前に、神戸に旅行に行った。
公共交通機関で神戸に行くためには、京都、大阪を経由しなくてはならなかった。
地元名古屋ではもちろんのこと、東京などに遊びに行った際には全く気にならなかったのだが、関西を走る電車内に一歩、足を踏み入れた瞬間に明らかに異国の地へ来たことに気がついた。
なんと、乗客の全員がお笑い芸人だったのだ。
もちろん乗客は皆、一般人であるものの、会話の中で「なにゆうてんねん」「なんでやねん」と、ボケとツッコミを役割分担し、大きな声で漫才をしている。
もはや走る『なんば花月』である。誰の話を聞いても、声が出るほど面白い。
小学生くらいの子供同士の会話でさえ、「そんなアホな」などという台詞が出てきている。お笑いのセンスというのを、関西の人は幼い頃から養っていることを一瞬で理解したのだが、それと同時に「ユーモアのセンスがあるお客さんをたくさん入れた会場で、笑いをとるのは困難だろうな」と、素直にそう思ったのだ。

関東と関西のお笑い芸人が、“お笑い”について争う番組などで、関西の芸人さんが人一倍プライドを持っている理由が、その時初めて理解できたのだ。
こんな環境で、「他の人よりも面白い」という評価を受けることは、困難極まりないだろうと予想できる。レベルが高いところで、レベルの高い争いをしているのだ。お笑いのレベルが上がらないわけがない。

こうした経験がなければ、絶対に考えられなかっただろうと思うのは、“どんな話にもオチはつけられる”ということである。
ユーモアのセンスがある関西の電車の乗客も、私たちと同じように、日常生活を営んでいる人なのだ。その点が驚きでもあるのだが、同時に、私にもできるのかも知れないと思わせてくれた。
もちろん、すぐには身につかないのだが、ちょっと視点を変えると、オチのある話ができる。
「オスとメスの猫が仲良くじゃれあっていて、程なくして二匹ともその場を立ち去ったが、なんだかホッコリした」
という話も視点を変えれば、
「オス猫がメス猫に必死でアピールをしていたのだが、メスは見向きもしなかったので、オスは諦めてその場を立ち去ったのだが、立ち去った先を寂しそうに見ていたメス猫がオス猫の後を追いかけて行ったのを見て、『猫にもめんどくさい女がいるもんだな』と思った」
こんなオチもつけられる。
なんでもない、「……だから何?」と言いたくなる話を、クスッと笑える話に変化させることができるのだ。

これだけで、とてつもなく話が膨らむことに気がついた。
そして、話が膨らむことによってのメリットも計り知れないものがある。
会話を楽しんでいた関西の人の多くは、会話の内容というよりも、会話自体を楽しんでいたように思う。
内容なんて、二の次なのだ。
私の家でも、夫婦の会話が無いことに不満を感じているという話によくなるのだが、会話がない時によく出てくる「話すことがない」という台詞がある。少し考えてもみれば分かるように、毎日一緒に生活をしていて、同じ物を食べて、同じ物を見て、同じ時間を過ごしているのに、毎日違った話題があることの方が不自然である。
話す内容の新鮮さを競うのではなく、毎日同じようなことを話していても、コミュニケーションを楽しむことが、本来の目的なのではないかと思うのだ。
会話のキャッチボールを長く楽しむためにも、“オチのある話”と言うのはとても効果が高いように思う。

冒頭でもお話しした通り、会話を楽しむためにも、効果てきめんの“オチのある話”には、もう一つのメリットとして、『教訓』がある。
先ほどの『猫の話』でも、なんでもない日常を切り取ったものではあるが、「逃した魚は大きい」などの教訓を得ることができるのだ。
最終的には逃げられたオス猫は、実はとんでもなく良い人だったのかも知れないし、素直にならなかったことで、自分はとても損をしているかも知れないと、自分を見直すキッカケにもなる。
このような教訓は、「ホッコリした話」では得られないことである。
同じ内容の話でも、見方を変えて見るだけで、自分の頭では考えられなかったようなところにまで思考が広がっていくのだ。

“オチがある話”というのは、聞いても面白く、話していてもコミュニケーションが捗って満足感が高く、明日の自分への教訓まで得られるという、メリットしか感じられないのだ。
“オチ”を考えるのは訓練が必要だが、努力の成果は間違いない。
まだ訓練が必要な私は、明日にでも、関西在住の友人に弟子入りしようと思っている。

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尾崎コスモス/小説家新人賞の卵
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