主日礼拝に初めて参加した話
クリスチャンではない私の教会初参加奮闘記
私はクリスチャンではない。
洗礼を受けていない私が教会にとても興味を持ったのは、『読書会』がきっかけだった。
私は長らく『オンライン読書会』を開催してきた。
それは、とあるコミュニティに属していた時から続けていたことだったが、「おかげで本が読めるようになりました!」などという声を聞くと、嬉しくなって辞められなくなってしまったのだった。
読書会を開催するに当たって、オンラインと言えどもどこで開催するか?という問題が出てくる。そこで私は、『コミュニティ』を作ることにした。
自分主宰のコミュニティ。それだけでテンションが上がった。
「参加してくれる人に対して、もっと有益な内容にしよう」
そう思って開催するようになった『オンライン勉強会』は人気を博した。
中でも『読み合わせ勉強会』というものが、いちばんの人気だった。
「一人では難解な本を、“三人寄れば文殊の知恵”という意味で、参加者みんなで読み解いていくと面白いかも!」
ということで始めたのだが、これが面白かった。
難しい本でも、何人かの違った角度を寄せ集めれば、偉大な研究者並みの読み方が可能になるのではないか、という錯覚さえ見ることができた。実際に見えたのだ。面白かったし、実に学びとなった。
以前からずっと興味をそそられていた、『聖書』のことが気になっていた。
「聖書も読み合わせをしたい」
そんな想いが溢れていた。私の好きな明治から昭和初期の作家にとって、【キリスト教】や【聖書】というのは特別な意味を持つ。
あの芥川龍之介が、死の直前には聖書に救いを求めたことは有名だが、そのほかの文豪たちも当時の激動の時代において、聖書やキリストといった『西方の人』に救いを求めた経緯が残っている。
それを、『勉強会』のメンバーに相談したこともあったが、快い返事をもらえることはなかったため、半ば諦めていた。
そんな折、「聖書をしっかり読み解いてみたい。誰か、一緒に聖書を読み解きませんか?」といったTwitterの書き込みを見つける。
感じるよりも早く、指が反応していた。
「ぜひ! 私でよろしければ一緒に読み解いていきたいです!」というメッセージを送っていた。そのツイート主は以前、手帳のイベントでご一緒したことがある女性だった。彼女からも快い返事をいただけた。
そんな経緯で始まった聖書勉強会だったが、「せっかくなら“旧約聖書”からやりましょうか?」ということで、『旧約聖書勉強会』が始まったのだった。
今週は彼女が感染症を患っているため中止になったが、前回までの間に“詩編”まで進んでいる。
そんな彼女は当然のようにクリスチャンであり、そんな彼女の話を聞くことが楽しみの一つとなっていった。
いつからだろうか、すっかり“沼落ち”したのは。
彼女の話を聞いているうちに、彼女が週末に訪れる“日曜の礼拝”に興味を持っていった。
「そういえば、実父の家までの道のりに教会があった」
そう思い出した私は、意を決して、教会の『主日礼拝』に参加することにしたのである。
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