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読書はリズムである

リズムやテンポが生み出す読みやすさ


「読書とはリズムである」
わたしは最近、このような結論に至っている。

直近に発売された『PRESIDENT』というビジネス雑誌の特集で、“速読”が取りざたされていた。
定期的に組まれる特集である。いまさら珍しいこともないほど、何年も前から同じ特集を繰り返していることだ。
しかし、同じ特集が何度も繰り返されるということは、それを読む人が後を絶たないということだ。
「速読出来たら、たくさんの本が読める」
そう考えて、速読という夢を追うのだろう。

そもそも、そんなペースで本を読んでも、本当に理解できているのか、はなはだ疑問である。
「あ、この本に書かれている内容は、〇〇という本に書かれていたことと同じことを言っているな」
このように感じる本がある。
よく、ビジネス書を読んでいると、このような現象に出くわす。
すると、四分割や八分割くらいのジャンルに分けることができる。
内容が似たものを、ジャンル別に分けていくと、“似ている内容の本”というものが出てくるのだ。

しかし、よく考えてみてほしい。
同じ内容であるならば、出版社が自社の命運をかけてまで、出版するだろうか。
今は、出版社にとっては、分岐点ともいうべき岐路に立たされている。
新潮社などは、文芸一本で勝負しているため、出版社の中でも一番厳しい状況であるとも言われている。
そんな出版社が、売れるか売れないかもわからない本を、一か八かで売るとは思えない。
それに、私たちの頭は、そこまで高性能にできてはいない。
「この本は、あの本と同じ内容だ」
そう思い込んで読むと、同じになってしまう。
つまり、『読む力』が弱くなるのだ。
それは、どのような時に起こるのかと言えば、そう、“サッと読んだとき”に起こりやすくなる。
熟読しても、速読しても、読解率は70%くらいあれば優秀と言われていて、30%は一度では理解できないことが多い。これは、脳科学を研究している茂木健一郎氏も言っている研究結果に基づいた事実だ。

しかし、『速読』の対義語に当たる『スローリーディング(遅読)』は、速読と違い何度も読み返しながら、理解を深めていくことができる。一度では理解できない内容を、何度も反芻しては、理解を深めながら読むことができる。

速読は、そもそも早く読んで、何冊も読まなくては意味が無いため、先を急いでいる。「今年、300冊読みました」という自慢をするために読んでいる人もいるかもしれない。
すると、薄くて、読みやすい本を選択するようにもなる。
簡単に読めて、一日で読破できそうな本を選ぶのだ。
薄い本は、内容が薄いわけでは無い。内容の濃い、薄い本もたくさん存在する。すると、その内容を精査することもなく、上辺だけ“読んだ”という事実だけを残して次の本に移っていくことになる。

スローリーディングを実践すると、厚くて読み応えのある本が楽しいと思えてくる。内容が濃く、深く掘り下げてあるのだから、楽しくなるのは間違いない。
しっかり読むので、内容も頭に入りやすく、「〇〇という本に近いことが書かれているが、この△△という部分が違うな」と、詳細な違いにまで理解が及ぶようになるのだ。

速読をして、たくさん本が読みたい気持ちは理解できる。
わたしも図書館などに行くと、「こんなにも読んでいない本がある」と愕然とするものだ。
しかし、どれだけ急いで読んだところで、追いつくことは無い。
永遠に引き離されるイタチごっこだ。

それならば、速読などというバカげた理想は捨てて、自分の頭で理解できるだけのテンポで読み進めることが一番だと思う。
自分が心地いいテンポは、リズムとなって自分の中に存在する。
適正な、快適なリズムを見つけて、読書を楽しむことが、一番読書が好きになれる近道だと、わたしは思う。

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尾崎コスモス/ライター・小説家・文筆家
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