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幻想的な世界の裏に隠された真実

童話や空想の世界の細やかな描写は賢治が実際に見た世界だった

猫がいる。
私の家のタンスの上に猫がいる。
「私、いつの間に猫なんて拾ってきたっけ? 迷い込んだのかな?」
不思議だな? そう思っていると目を離した隙に猫はいなくなった。
猫がいたところには、鞄があるだけだ。
どこへいったのだろう?
家の中を歩き回られては困るな。
そう思った私は、猫を探そうと立ち上がる。
窓から風が吹いてくる。
カーテンが舞い上がった。
すると、カーテンに苦悶の表情を浮かべる、女性の顔が浮かんできた。
苦しそうだ。大丈夫だろうか。
そう思っていると、先ほど干したはずの私のシャツを着た男性が、こちらに向かって微笑んでいる。なぜだろう、あのシャツは私のシャツだ。
なぜ着ているの? なぜベランダにいるの? ここは4階だよ?
疑問と恐怖を感じながらカーテンに目を戻すと、女性は居なくなっていた。
あれ? そう思ってベランダを見たら、シャツを着た男性の姿もない。
ベランダには、先ほど干したシャツが、風になびいているだけだった。

私は数ヶ月前に、病院で診断を受けた。
病名は「レビー小体型認知症」である。
この病気は、アルツハイマー型認知症医に次いで二番目に多い認知症と言われている。
血管性認知症とともに、「三大認知症」と言われているものだ。
レビー小体型認知症は、一般的な認知症とは違い、認知機能がだんだんと低下していくのではなく、認知機能にムラがあるのが特徴である。
症状として現れるのは、認知の変動やパーキンソン症状、睡眠中の異常行動などがある。中でも一番困るのが、冒頭のような幻視や幻聴である。
見えないはずの物が見えたり、聞こえるはずのない物が聞こえる。
こうしたことは認知症が発症する前から、度々あったが、その頻度は間違いなく上がっている。
病気のことを調べれば調べるほど、絶望の淵へと追いやられる。
自分の人生が終わったような、そんな感覚にもなる。

しかし、ある時、ふと自宅の本棚にあった本を手に取ってみた。
『宮沢賢治・風の又三郎』である。
小学生の頃によく読んだ。確か、教科書にも載っていた。
「どっどど どどうど どどうど どどう」という印象的な書き出しで始まる。
夏休みが明けた東北の小学校に、高田三郎という突然風変わりな転校生がやってくる。その少年は髪が赤く、真っ黒な目を持つ奇妙な風貌で、なぜだか普通の常識が通用しない。少しずつ三郎に歩み寄っていく生徒たちの中、嘉助は彼の正体が“風の又三郎”であることや、少年が風の神様の子だと信じる。そんなお話だ。

風が吹けば、その風に乗った少年がやってくる。
空を見上げれば、そこには銀河鉄道が走っている。
料理店に行けば、そこの名物料理は自分自身だった。
醜く生まれた容姿とは裏腹に、美しい心を持った鳥。
イーハトーブの森を舞台に、冷害による飢餓と戦う。

まるで、見てきたかのような描写。
しかし、イーハトーブなどという理想郷は存在しない上に、銀河鉄道など走っているはずもない。
それなのに、こんな世界を作り出せる宮沢賢治はすごい才能を持った人だ。
そんなふうに捉えていた。
私の中でも、多くの人と同じように、宮沢賢治は有名な童話作家であり、才能の塊だと思って信じていた。
ただ、この宮沢賢治の世界は、私の見ている世界と近しい。
とてもよく似ている。
カバンが猫に見えることもある。
カーテンに女性の顔が見える。
洗濯物に袖を通して男性の姿が見える。
不思議な世界。
説明できない世界。
そんな世界で長い間生きていると、そうした世界が当たり前となる。
現実と幻想の世界の境界線がなくなってゆく。

宮沢賢治も、レビー小体型認知症だったのではないだろうか。
だから、これほど細やかで、現実に見てきたかのような描写で描くことができるのではないだろうか。
そう考えると、急に身近な存在になってきた。
宮沢賢治が他人とは思えなくなってきたのだ。
宮沢賢治は、才能あふれる作家として有名になった。
幻想的な世界を描くことに関しては、右に出るものはいないだろう。
これはまさに、先ほども言ったように才能がなせるワザである。

そう考えた時、一つの結論が導き出された。
「レビー小体型認知症も、才能なのではないだろうか?」
という結論である。
認知症だけではない。多くの障害と言われている病は、それだけで才能なのではないだろうか。
生きているだけで、普通の人が見えない景色を見ることができる。
私などに至っては、比喩ではなく、実際に見ることができるのだ。
実際に存在しないものを言語化することは難しいが、実際に見たものであれば、言語化しやすくなる。
それでも、宮沢賢治が天才であることに変わりはないが、障害という「多くの人にはない能力」を身につけられたことに感謝するべきなのかもしれないのだ。

私は今まで、下を向いて歩いてきた。
病に負けそうになり、認知症であることが悪いことであるかのように振る舞ってきた。
しかし、今日からは、上を向いて歩こう。
空を見上げれば、風に乗った又三郎がやってきて、夜空には銀河鉄道が走っているはずだから。

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