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半身で働くということが果たして可能なのか
半身で働くことは一生懸命なのか
半身で働くとは
「半身で働こう」とは言わずと知れたベストセラー『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の本の中で著者が訴えていることです。
わたしは、これに、違和感を覚えました。
もちろん、半身で働くことができたら、半身は自分の余暇活動に充てることは可能となるでしょう。
読書だってできる、その主張は正しいと思います。
しかしそれは、本当に正しい道なのか、という点において疑問に思うのです。
わたしは昭和世代に社会に出た人間です。
「一生懸命働く」ということが、『あたりまえ』だと教えられてきました。
そこには、経済を支える側面と、自分の人生を生きる側面の『二足のわらじ』を履きこなす術が詰まっていたと思います。
もちろん、「半身で働く」という面においても、『二足のわらじ』は存在します。しかし、そこに隠れているのは「半身で働くから一生懸命やらなくていい」というニュアンスが含まれているように思えてなりません。
この「半身で働く」というのは、いったい何なのでしょうか。
なにかに没頭する時期を失うことは人生の損失
わたしは、20代、30代を仕事に没頭してきました。
もちろん、その後も仕事には没頭していますが、若かれし頃の『没頭できる時期』に何かに没頭しないことは、人生の損失だと考えています。
本書では、「疲れたら休もう」と書かれています。
疲れるまで働いたら、休み、その上で本を読む時間を確保しよう。
そんな風に書かれている本書では、何かに没頭することとは対極にある「自分を守るために必死に仕事をするな」と読むことができるのです。
若いころに何かで認められたり、何かに没頭する時期があると、人生に対して自信が持てます。
その後、どのような困難があろうとも、負けない心を養うことにつながっていくのです。
それは、本書に書かれていることとは、真逆の意見になるかも知れません。
「半身で働く」ことの怖さ
「半身で働く」ことに対して、多くの著名人が賛同している様子を、様々な媒体で目にします。
しかし、考えてもみてください。
それらを話しているのは、高学歴で綺麗な仕事をしている人たちです。
そのような、学校から優等生である人たちが言う「半身」と、わたしたちのような凡人が考える「半身」には大いなる隔たりが存在するのです。
それに、著者である三宅香帆さんは女性である点も、見逃せないポイントです。
女性というのはそもそも、マルチタスクが得意な人が多く存在します。
美容室に入った時、話をしながらも作業を進められているのは、総じて女性であることにあるとき気がつきました。男性は、話し出すと手が止まるのです。
つまり、女性というのは、そもそも「半身」ということが得意な人が多いのです。
子供が生まれて、子育てをしていても、家事をこなし、人と話をし、買い物にも行きます。
しかし、多くの男性は、それらを同時にこなす事が非常に苦手です。
ですから、男性と女性では役割が分担されているのです。
それぞれが、得意なことをする。
それによって、社会が成り立っているのです。
男性は『全身全霊で働く』“気持ち” を忘れない
こうしたことから、男性には、「全身全霊で働く」という意識を失ってはいけないと私は提言します。
高学歴で、高収入な人の中には、「一生懸命働く必要のない人」は一定数いらっしゃるかも知れません。
しかし、若いころの『没頭する時期』は必要なのです。
男性ならそれに加えて、「半身で働く」なんて芸当は不可能に近いのです。
なんでも「本に書いてあるから」といって鵜呑みにするのは危険です。
そうは言いながらも、わたしは本書を愛しています。
ボロボロになってまで持ち歩いている本書の写真を、SNSでもあげています。
それほど読み込んだ上で、「半身で働く」のは全員に当てはまることではない、と意見を述べたかったのです。
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