春風亭昇りん
匂いが分からなくなり、入院から治るまでのお話です。
落語家として起きた身の回りのおはなし。
プライベートで行った美術館やらなんやら。 その体験を書いてます。
「落語家してんな〜」って、思う時がある。 これがすごい楽しい。 例えば、先日の学校寄席で行ってきた宮城県にある丸森町。ここへ行くのに、東京から福島駅まで新幹線で行き、そこから阿武隈(あぶくま)急行に乗って、丸森駅まで行く。 阿武隈川沿いを電車が走り、外は自然豊かである。電車は向かい合う4列シートがあるパターンのもので、人も少ないので、4列シートの窓際に座って、見知らぬ土地を眺めながら、1時間電車に揺られる。おそらく、旅行では丸森町に行こうとは申し訳ないが、なかなかならない
フレンチのことなんか、なあんにも知らないのだ。 おそらく食べたこともなかった。 そんな僕が、カミさんと初めてフレンチに行ってきた。だからと言って高級フレンチを夫婦で着飾って、優雅にフフフだとか、ハハハと笑って、小洒落たことを言い合いながら食べたわけではない。たまにある庶民にも優しいお値段の庶民に合わせてくれた料理を提供するところである。そこのレストランのランチが1000円ちょっとという優しすぎる値段で、食べログを見れば絶賛の嵐。ここは期待できる。 店に入ると賑わっており、
とあるラーメン屋さんでの話。 僕は今年に入ってから鼻の調子が悪く匂いがしにくい鼻であった。結果的に副鼻腔炎ということで手術をして、鼻の匂いが戻ったのだ。 匂いが戻って良かったのは、やはり食事だ。 匂いがあるとないとでは、飯のうまさがまるで違う。 まず食べたいと思ったのはラーメンでさんざんラーメンを食べ歩いた。 そのうちの一つに、よく行く好きな味噌ラーメン屋さんがあって、ある日の寄席の帰りに寄ろうと思った。寄席から電車で行けば近いのだが、今日は歩いてお腹をすかせよう。きっ
春風亭昇太の8番目の弟子。実家がりんご農家ということで、りんごのりんで、「昇りん」と言います。 何度言ってきたか分からないし、これからも言っていくんだと思う。 そんな僕に、りんご畑で落語やったら面白いんじゃない? そう言ってくれる人が何人かいて、こんな企画をやることになった。 とてもご機嫌なツアーである。 そして、当日の様子がこちら。 やっぱり、ご機嫌なツアーである。 当日は、8時30分に集合して、準備に取り掛かる。もちろん前日までにも、父や母や町の人たちが準備を
ちょっと前から、1000円カットから美容室に変えたんです。 髪型にそこまで気をつかってなかったわけで、まあでもそれなりに、これで良いだろうとは思ってたんです。 やっぱり1000円カットなんで、ところどころ切れてない髪がピョーンと出てたり、いろいろあったんですが、半年に一度だけ 「いいじゃん、この髪型。美容師さんサイコー。」 という奇跡が起きる瞬間があって‥ でもなんか先輩に、 「野球部が引退して坊主が伸びたみたいな髪型してるね」って言われて、「え、そうなの?」 と驚き
一緒に写真撮りませんか? って、あんまり言えない。 よく出演者同士で写真を撮って、SNSであげたりするのをよく見かけるが、自分から撮ろうとは言えない。 自分と関係性が近いものには言える。後輩過ぎると言えないし、先輩だと写真を撮るという発想さえなくなってしまう。 そりゃ、 「写真撮っていいですか?」 と、聞いて、 「ごめん、ダメなんだ。」 なんて言う人はまずいないし、いやいや撮ってる人もまずいないだろう。 SNSでみんながわちゃわちゃしてる感じの方が、見ている人も
とっっても上京したかった。 是が非でも上京したかったのだ、僕は。 「東京の人は冷たいらしいよ」 と、言われようが 上等じゃねえか。 と、そう返す心構えであったのだ。 僕は山形出身である。 そりゃもう田舎で、周りを見れば田んぼばかりで、夜はカエルが大合唱。田んぼのあぜ道を自転車で走れば、水たまりを自転車が走って水飛沫が上がるように、大量のイナゴがぴょんぴょん跳ね上がる。 そんな場所で、人見知りを爆発させながら僕は育った。 当時、僕は高校3年生。 すでに高1の時か
副鼻腔炎の手術が終わり、鼻の中にあるシリコンもとり、鼻呼吸が戻ってきても、匂いは戻ってこなかった。 君のいない人生が嫌で手術を受けたのに、どうして戻ってこないの。どうして。いつになったら、もう一度君に会えるの? そう思いながら、その日も朝食を食べていたのだ。朝食の味噌汁の味噌の香りも、デザートの梨の香りもいつものごとくしない。 食べ終わり、鼻をかんだ。 そう鼻をかんだ瞬間だ。 君はさりげなく舞い降りた。 初めは気のせいかと思ったけど。 でも、確かにティッシュの匂いが
今週の水曜日は待ち焦がれた日であった。 副鼻腔炎の手術をして、鼻にガーゼをつっこみ鼻呼吸ができない生活になり10日間。ようやく、そのガーゼを取る日がきたようだ。 鼻呼吸ができない辛さは以下の通り。 ・全てのやる気がなくなる。 ・集中しにくい。 ・食事の味が分からない。 ・口の乾燥からくる喉の痛み。 ・鼻の穴に綿球突っ込んでるので、外へ出たら 常にマスク生活。暑さで死ぬ。 とにかく嫌なことしかないのだ。 その日の夜はピザにした。ガーゼとり祝いである。匂いのある美味しい食事
さきほど、退院後はじめてのの高座が終わりました。 出かける前は体調は万全と言えるものではなく、朝から気だるい。 しかも、鼻に綿球を詰めているため、外出する時はもちろんマスクを着用。この暑さでマスクは堪える。 本日高座をする神田連雀亭についた頃はもうヘロヘロである。そこから高座に上がるまでは、どうなるかな、血が垂れたらどうしようかなと、いろいろ思うことはあったのだが、上がってみたら何てことはなかった。 高座をおりる頃には体調も良くなっている。これは、落語家あるあるで高座に上
昨日、おかげさまで無事に退院しました。 退院しましたが、病院から自宅に帰るだけでクタクタになってしまい、うちに帰ったら37.1度。その後も頭がずーっとぼんやりしており、昼から朝まで寝てました。 今朝、熱を測ると平熱に戻っており一安心。でも、無理はできないので、今日も一日中寝ているつもりです。 明日はいよいよ高座復帰。 もちろん、このまま順調に回復すればですが。 連雀亭〈お盆特別興行〉に出演予定です。 高座時間は15分。 鼻の奥にはガーゼが詰まってますので、全編鼻濁音落
今日は朝からひたすら眠い。 これでもかというぐらい眠い。 寝て起きて、眠いから寝て、起きてもまた眠くなるから寝るの繰り返し。 これで夜眠れなかったら嫌だから、起きたいけど眠い。あー眠い。 今日はシャワーを浴びれる予定だったのだが、もうシャワーの予約いっぱいとのことで、今日もおしぼりで体を拭く。それだけでもだいぶ楽になる。今日は看護師さんが少なく忙しそう。 鼻洗浄というのを習った。よくCMで見る鼻うがいである。鼻の奥にガーゼが詰まっており、鼻の穴に蓋をするように綿球をしてい
昨日の夜は37.1度と微熱があったが、朝には熱は引いていた。だが、気だるさは続く。 それにしても、病院の夜は長い。 9時に寝て、鼻から垂れる血が口に入ったり、鼻から血が垂れたりと、時々起きて血の痰を吐いたり、鼻に入れる綿球を変える作業をする。 何よりずっと寝ているため、腰が痛くなる。深夜バスに乗ったようななんとも寝心地が悪い感じが続く。スマホの時計を見て、まだ2時。 たまらん。 その後、うつらうつらと寝ていたのだが、今度は自分のいびきで目を覚ました。鼻で呼吸できないし
たくさんの方から、お言葉をいただき嬉しい限りです。励みなりました。 昨日の21時から食事はしてはいけず、水もダメ。経口補水液だけ飲む生活。なんかしょっぱい液体で美味しくはない。 それも朝の6時までで、それ以降は絶食で8時15分に手術開始という流れである。 夜は9時30分には電気を消されてしまい、なかなか眠れない。眠れないと、明日の手術のことでやはり多少不安になる。6時頃目覚めたのだが、まだ眠い。だが、寝れる気がしないし、なんか背中が痛いので、軽く柔軟をする。 いよいよ、
今日から、副鼻腔炎の手術ということで入院することになった。 半年くらい前から臭いが鈍感になり、医者に通い始めた。もともと鼻炎だったので、鼻詰まりがひどい時は、そういう症状がよくあったのだが、今回はなかなか治らないので、医者に行くことにしたのだ。 薬を処方されてから3ヶ月、それでも治らなかった。臭いとしては、思いっきり鼻で息を吸い込んだら、かすかに食べ物の匂いがわかるくらい。食べ物はまだ分かるのだが、飲み物は分かりづらい。コーヒーは、ただの黒い飲み物である。 じゃあ
翌日図書館へ行くと、まだ職員たちが昨日のことで盛り上がっていた。事情を聞いたのだろう。木村さんは、そっと私に近づき、「大丈夫?」と声をかけてくれた。友人代表のスピーチができないのは悲しいが、友達がいるというのは有り難いことである。だが、落ち込んでいる暇などない。私にはやるべきことがある。 職員たちの盛り上がりが一通り終わった頃合いをみて、その集団に言葉を投げかけた。 「昨日見つかったパラパラ漫画の落書き、私が消しておきます。」 すると、そのうちの一人が、 「いつもごめんな