見出し画像

罠を作りながら配信を見る

しょうのです。
今日は久々に自宅で作業する時間があったので罠づくりを少しだけしました。明日も時間があればまた捗るのですが、なかなか鹿の都合で生活していると時間が曖昧です。

そんな僕ですが、今日はその罠を作成しながらゲーム配信を見ていました。以前はよくゲームをしていたけど、すっかりやる時間も生活リズムもなくなってしまいました。という訳でそういう作業時間で配信を見たりします。

今日はDbDというゲーム配信を見ていました。

昔よくやっていたのもあって基本ルールは理解しているのですが、2年以上やっていないのでその間のアップデート情報がわからないのです。
1vs4の鬼ごっこゲームです。全員がやられる前に機械を修理して脱出基準を満たし開いた門扉から出ていくのが基本ルールです。その中で仲間を助けて協力したり見捨てたり。そういうドラマがあるのです。

このゲームを熱心にやっていたことろは”すべてを理解”していたのですが、対人戦なのでもちろん同じ盤面になることはまずありません。
セオリーもあるにはあるけど、囚われると逆手に取られてミスを誘われるのです。これってゲーム化されているけど狩猟も同じなんですよね。

ゲームと狩猟

ゲームだとフィールドが物理的に制限されていて、痕跡も見やすくなっていたりするから簡単になっているけど現実の狩猟だとそうもいかない。
この世界のどこかに居る鹿を見つけるのです。気候、地域情報、時間などと経験も加えて複合的に。
何頭がどこで何しているのか、目的は何なのかなんて示されていない。だからそれを示してくれるだけでゲームは優しい。でも、優しすぎると物足りない部分もある。

出来ることの限界を感じる。

ゲームだと出来ること出来ないことが決まっているのはもちろん、普通やらないこともあるし、人間が相手だから考えることに共通点があってわかりやすい。だから「やれること」が限定されているため現実よりも少ない上に「やること、やるべきこと」がさらに狭いので想像の範疇で収まってしまう。
一方、動物相手だと同じ言語で考えていないので共通の認識を持つのが難しい。食べ物、飲み物、休む場所、そういう情報を自らが見つけていくのだ。推測を立てて鹿との勝負が始まる。
どこを通って移動して目的地にたどり着くのかを考える。鹿の目線で、鹿の気持ちで。時には通りやすいように道を作って誘導したりもする。ゲームではできないことだ。
こうしたやり取りを日々繰り返している。

もし、またこういうゲームをやるなら

きっと楽しいだろう。一歩深くまで考えるようになるかもしれない。でもちょっと違う楽しみ方をしてしまうから、ゲーム体験として相手とマッチしないかもしれないな。そういうところも罠が楽しいのは変わらないけど。

ちなみに、DbDをやってる人が思う罠ってトラバサミだと思いますが、現実では禁止猟具です。


他の方もサポートしてますよ