”カウンセラー養成講座を開講したい” 今年の春、わたしの中で少しずつ芽生えてきていた思いが、だんだんとはっきりしてきました。 カウンセリング技術を教える感触が掴めてくるにつれ、今度はカウンセラーの養成に取り組んでみたい、という思いが強くなったのです。 ですが、そこでわたしは、これまで直面したことのない壁に行き当たってしまいました。 プログラムに組み入れたい内容が膨大すぎて、何をどのように構成していったらいいのか、途方に暮れてしまったのです。 また、そもそも、開講した
つぐさんに導いてもらいはじめてから、わたしはそれまではほとんど持っていなかった、あることをする時間が、増えました。 そして、そのことで、未来のやってくる感覚が、大きく変化してきたことを、実感しています。 その、”あること”とは何かというと 未来の自分を描く時間。 そう、未来の自分を描く時間をよく持つようになったことで、わたしの未来はどんどん塗り替わっていったように思います。 未来の自分をイメージすること。 これを実践することで、最初の1,2年目も、大きな変化を実感
コンサルが始まって、半年ちょっと経った、あるセッションの日。 つぐさんとわたしは、カフェでコーヒーを飲みながらお話をしていました。 その時にしていた話題は、次元上昇について。 自然とそんな話題になり、次元が上がる時にどんな感覚を伴うのかや、具体的に何が変わっていくのかについて、あれこれ話が盛り上がっていました。 こんな風に、つぐさんとのやりとりは、お互いの関心ごとに関連する雑談から始まることも多くて、そこからいろいろと面白い話が展開していく、ということがよくあります。
つぐさんから学ばせてもらったことをここで記事にしはじめて、早いもので、25記事目になります。 ひとまず50記事を目標に書き始めたので、ちょうど折り返し地点にやってきました。 こうやって記事を書いていて、なんとたくさんの大切なエッセンスを学ばせてもらってきたのだろうと、改めて感じています。 カメラマンでもない、言ってみれば専門外のわたしが、ここまで包括的に導いてもらえているのは、それだけ彼の持っている視座と実践知が普遍的なところに根ざしているからなのだと思います。 今日
つぐさんという人を知ったのは、今から4年前のこと。 友達の知り合いを伝って、はじめて彼のFacebookページに訪れた時のインパクトは、今でもよく覚えています。 フィード上の彼の第一印象が、人というよりも、光のように感じたのです。 強い光を放ち、そして求心力のある、光の玉。 へぇ、こんな人がいるんだなぁ。 と、彼の第一印象は、強いインパクトをわたしに残しました。 それから、実際に対面したり、導いてもらったりするようになってからも、ふとした時に、あまり他の人には感じ
つぐさんからコンサルを受け始めて間もない頃のこと。 彼から、自分の主催するリトリートに来ないかと、お誘いを受けました。 ですが、わたしはそのお誘いを断りました。 興味は惹かれたものの、あまりピンと来なかったのです。 しかし。 数日後に、つぐさんからまた、別のリトリートのお誘いが来ました。 しかも今度は さちえさんがお客様になりそうな 新しいサービス考えたよ笑 と、気持ちいいほどにストレートな売り込みを受けたのです。笑 普通、一度誘って断った相手を、間髪入れず
”石の上にも三年” という言葉があるように、物事をある程度俯瞰して捉えたり、できるようになったりするまでには、それなりの時間とエネルギーをそこに向け続けることが必要です。 つぐさんに導いてもらいはじめて最初の一年目は、ただただ、言われたことをそのままやっている状態で、彼が何を思いながらそれを言っているかということが、まだほとんど理解できていなかったと思います。 つぐさんが伝えてくれていることの背後に、一貫性が見えるような感覚が少しずつ出てきたのは、丸二年ほど経った頃。
誰かから学ばせてもらう時というのは、その人から直接言葉を通して具体的に受け取る内容もさることながら、在り方や生き方といった、言葉以外のものから受ける影響もまた、大きいのだと思います。 例えば その人が持っている世界観や どんなスタンスで物事を見ているか 何を大切にしているのかや 困った時にどうしているか 何に心を反応させながら生きているかや 逆に何に反応していないか など 受け手はそのような、ある意味その人が取り繕おうとしても取り繕えない部分から、意識するしないに関
わたしには、長い間コンプレックスに感じて、人に対して引け目を感じていたところがあります。 それは、自分の生真面目さ。 言われたことを真に受けて冗談が通じないとか、融通が利かないとか、そんなところです。 小さい頃や学生時代、就職していた頃に、その面があることで、よく嫌な思いをした記憶があります。 例えば、誰かに頼まれごとや指示を受けた時。 こちらとしては、相手の言っていることに一生懸命こたえようとしているのです。 ですが、言われたことを本当にその通りにやると、少しは
これまでやったことのないことをしたり、新たな挑戦をしたりする時に、そこに失敗はつきもの。 実際、自分自身のこれまでを振り返ってみても、過去に失敗した体験は、成功体験と同じか場合によってはそれ以上の貴重な学びの機会となっていることに気づきます。 ですが、それをわかっていても、失敗することって、できれば避けたい。笑 そして、失敗は失敗でも、絶対にしたくないタイプの失敗って、人それぞれあるのではないでしょうか。 絶対にしたくない失敗というのは、例えば過去に同じような失敗で痛
わたしは今、ひとつのステージの切り替わりにいるような気がしています。 周りにいる人たちの顔ぶれやエネルギーが、ここ1年くらいで結構変化してきて(もちろん、変わらず付き合っている方々もいます)、自分のやっていきたいことが、よりそぎ落とされて際立ってきて。 それはきっと、自分が変化・成長しているからであり、その変遷はなだらかというよりは階段のようで、ある時を境に見える景色が急に変化していくような感覚を伴います。 今年に入ってから、つぐさんが私に言ってくれていること。 それ
個性的な生き方とは、例えていうなら、道のないところに自分だけの道を作り出し、進んでいくようなものだと思います。 もし、今歩いている道に、他の人が絶えずいたり、歩きやすかったり、行く先に何があるかが予測可能だったりするなら、それはきっと、他の人も歩いている道であり、そこで発揮できる自分のオリジナリティは、限られたものになるのではないでしょうか。 これは、どちらがいいとかすごいとかではなく、生き方の好みの問題なのだと思います。 つまり、自分がどう生きていきたいのか、というこ
つぐさんに出逢った頃のわたしは、実は心理士として少し行き詰まりを感じていました。 相談を受ける中で、当時は困りごとや問題の解決がクライアントさんのニーズになることが多かったのですが、実際は、問題にばかり焦点を当てていると、なかなかうまくいかないケースが多いのです。 逆に、”こうなりたい”という憧れがあったり、解決像が明確な時に、人は変わりやすい。 ただ、言葉でのやりとりは目に見えない分、未来像を明確にイメージする際に、どうしてもインパクトに欠ける感が否めずにいたのです。
つぐさんとやりとりをしている中で、時々、彼の在り方について話を聴かせてもらうことがあります。 その中で何気なくポロっと出てくる言葉が、後々まで深く印象に残るものだったりして。 そんな風に、ふと口をついて出てくる、ということは、もう彼の中では当たり前のようになっている考え方なり、習慣なのだろうな、と思います。 今日は、そんな中から、最近改めて聴かせてもらって、感化されたことを書いてみたいと思います。 それは何かというと 自分の限界を少し超えて1日を終える ということ。
何かを 始めてみたいと思い立ったり ふと、やってみたいなと思ったり。 誰しもきっと、そんな ”〇〇してみたい” が最初に自分の中に思い浮かんだ時、その欲求は純粋で、取り立てての理由もない、ただただ素直な自分の心の声そのものなのだと思います。 それはまるで、小さな子どもが これした~い! と、後先のことも周囲のことも考えず、無邪気に欲求を言い放つのと同じような。 そして、素直な思いに従って、実際の行動に移せたのなら、それ自体がきっと、その人にとって嬉しいことなのでしょう。
つぐさんに導いてもらう中で、とても大切なこととして最初から伝えてもらってきたことであり、その後も折に触れて、いろんな角度から伝えてもらってきたことに、アウトプットに関してのことがあります。 振り返ってみると、それを受けて、わたしがアウトプットを積み重ねていくことによって受けた恩恵は、計り知れません。 一般的な認識としてのアウトプットの目的は、たちまちは、自分を表すことで誰かに何かを伝えること、ということになると思います。 ですが、振り返ってみると、アウトプットをすること