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「光る君へ」第九話 遠くの国 感想

やはり丸一日経たないと、言葉にもできないくらいの衝撃だったな...。

直秀がいなくなってしまった喪失感、道長の心の痛みの伝染、月曜からどんよりですよ。

ただそれだけではない、この、モヤモヤしたものはなんだろう。

結局、私は平安時代の風俗が好きで、セットの作り込みや、その時代の人々の立場でどういう動きをするのか、を中心に見てしまう。
しかし、今作はストーリーの威力が、歴史学者、文学者達が研究してきた「平安時代はこうだったであろう」論を凌駕してしまっているなと思います。

帝の信頼厚い六位の蔵人の姫が、そんなふらふらお出かけになって侍に乱暴に扱われることなんてあるかいなー。
道長とまひろが2人で鳥辺野を駆け回るシーンには、せめてお付きの者をつけてくれよーと。

どうしてもモヤってしまってストーリーに100%入れないこの悲しい性よ。

なんて自分に嘆いていたら、SNSで、鳥辺野のあの土、関東ローム層...って言っている方がいて、すごいな、もう次元が違うなと笑ってしまいました。

個々の強烈なエピソードの作り方としては(人間の人生を描くという大河の特性上)その人の最後(または絶頂期)の性格を定めて、そこから逆算する形なのかなと、ここに来て気づきました。
こういう性格になるんだから、こういうエピソードが必要だと。

史実として書物に書かれていること以外は、分からないんだから、自由に描くのがドラマだと、そういうスタンスでしょうか。
それはそれで、ありですね。
(もちろん、本当のところは分かりません)

ただ、どうしてもその分、この時代の「こうであっただろう」論は軽んじられがちになってしまうのかなと思います。

でもストーリーの作り方がすごすぎて。
漫喫で読み始めた途中でやめられない漫画みたいになってる...。
もう別の世界線だと思って見ることにする。

大河が始まる前から、時代考証の倉本先生が、「ドラマはドラマ、史実は史実として」という事を再三言っていました。
そんなに強調するなんて、一体どんな事実を無視したドラマなんだと思っていたら、そうではなかった。
違う世界線の史実を作るんだ!ってくらいの強いストーリーだったわと、今感じてます。

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