夫婦はひとつになれない【靴の底 #34】
鎌倉の湿気地獄もおわり、いつの間にか肌寒い日が続くようになった。
真夏を乗り越えたんだと思うとなんだか結婚式のことや夫婦の間の亀裂も気にならなくなってきた。
派遣の仕事をはじめて初給料をもらったとき、あまりの高額明細に目が丸くなり、「え?一年ぶりのお賃金がこんな高くなっていいんですか?」と何度も疑ってしまう。
過去の正社員や契約社員よりも高いお賃金は、私の仕事のモチベーション高くし、仕事に打ち込むほど、日々が忙しくなる。
旦那も年に一度の繁忙期に慌ただしく働き、夫婦で在宅勤務の私たちはお互いの協力なしでは、家事が回らず、険悪な雰囲気になる暇もなく、日常を送る。
過集中傾向のある私は、仕事に集中すると昼食も食べずに夜まで過ごすため、旦那の生活リズムに合わせることで自分自身のメンタルと生活を保つことができ、専業主婦時代よりも夫婦生活はお互いに偏ることなく、一定のバランスをとることができているようだ。
「わたし、人に対しても過集中していたのかも」
仕事をして、職場の人や一日稼ぐことに満たされる平日。
休日は保護猫ボランティアのオーナーが経営する保護猫カフェで過ごし、近所のカフェでひとりで豪華なパフェを食べて、お店の人と世間話をしたり、初給料がでたからと、今まで我慢していた買い物をして、新しい人と興味のある会話で盛り上がる。
鎌倉の人たち特有の話しやすさや溶け込みやすさは、人間関係に疲れた私にとって過ごしやすい付き合いができる。(ただ噂好きな人も多い)
旦那以外の外の付き合いが盛んになってくると、彼に対して感じていたイライラや不信感がどーーーでもよくなってきて、むしろ良いところが目につくようになってきた。
旦那自身も昔の友だちと会ったり、人付き合いを再開しだし、お互いがお互いの知らない時間をする会話が増えた。
私たちは今まで自分たちだけで過ごしていた時間を、やめたのだ。
夫婦はひとつになれない、と絶望した結婚式。
あの時から大騒ぎをして、苦しんだからこそ、夫婦だけでない世界に踏み出すと夫婦関係が良好になってきたから不思議だ。
私は今まで旦那に対しても過集中していたのかもしれない。
穏やかな時間がつづくと、自分自身を振り返って考えてしまう。
誰かを愛して、ともに過ごすことは素晴らしく、楽しい時間だけれども、相手にばかり集中してしまうとバランスが崩れてしまい、亀裂が生まれる。
それは共依存という言葉でもあるかもしれない。
夫婦はひとつにならなくていい。
冬に向かう鎌倉の土地で、ようやく結婚式で入った亀裂を金継ぎのように修理できた気がする。
夜の23時半。
義母から突然電話があった。
「本当に、葉子さんにご迷惑をおかけしているんじゃないかと・・・」
この前送ったお菓子のお礼とともに言われた言葉に「本当に変わった男ですよね〜」と心からの返事をした。
「被害者はたくさんおりますんで・・・。今度、被害者の会をしましょう」
「メンバー集まりますかね?」
「私が代表しますので、次お会いしましたら、彼の悪口をいいましょうね」
義母の言葉に大笑いをして「またお菓子送ります」と言って電話を切った。
どうして日々は変わり続けていくんだろう。
そんなことを思っていると、「ただいま〜」と彼が玄関のドアを開けた。
今、お義母さんから電話が〜と駆けていく。