「ありがとう」は「愛」
マザーテレサが言っていた。
「愛の反対は無関心」と。
本当にその通りだと思う。
「愛」はその人への「関心」だ。
その人を知ろうとする行為だ。
アドラー心理学でも似たようなことを言っている。「他者の関心事に関心を持つこと」
幸福に生きる第一歩として、他者に関心を示めすこと、他者をもっとよく知る、「共感する」ことだ。
「ありがとう」の反対は「あたりまえ」と言う人がいた。なるほど、わかる気がする。
「ありがとう」と言う言葉は、他者が自分にしてくれたことをしっかり意識して、感謝して伝える。
「あたりまえ」は、他者がしてくれたことに関心がない。「あたりまえ」と思っているから。
「ありがとう」という言葉を心から伝えられる人は、愛がある人だと思う。
伝える相手にどう思われようが、異性だろうが、子どもだろうが、誰に見られていようが、見られていまいが、伝えられる人は愛がある。
家族が居てくれること、家族がやってくれることは「あたりまえ」じゃない。
奥さんの料理は「あたりまえ」じゃない。奥さんは家事や育児、仕事やママ友とのことで疲れているかもしれない。奥さんの苦労を「あたりまえ」にしてはいけない。
「いつもありがとう」と伝えよう。
子どもとの遊びの時間も「あたりまえ」じゃない。子どもに関心を持たないから、子どもも親に関心を持たなくなる。一緒の時間は「あたりまえ」じゃなくなる。
「パパと遊んでくれてありがとう」と伝えよう。
「愛」と「ありがとう」は繋がっていて、「無関心」と「あたりまえ」は繋がっている。
「ありがとう」には「愛」があり、
「あたりまえ」は「無関心」だ。
そんなことを思った朝でした。