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【018】「どうせ続けないし、どうせ辞めない」2023年8月の日記➀

おはようございます、サプライです。
こんにちは、サプライです。
こんばんは、サプライです。
「おはようございます」だけ長すぎだろと思ったけれど、良く見ると「おはようございます」だけ敬語なんですよね。朝にだけ敬語の挨拶が用意されている。

おはよう、サプライです。
ふむ。敬語を外すとこれが一番短くなる。
しかし文章にするとやや味気ないと感じてしまうのが不思議だ。

発せられる時間帯によって言葉としての形態が異なるのは興味深いことである。それならば「過去形の挨拶」や「未来形の挨拶」があっても良かろうといまの僕は頭をひねる。

なんたって、いま僕は一年前の日記を書こうとしているのだから。
朝でも、昼でも、夜でも、いつだってどうだって構わないのだけれど、少なくとも過去の出来事をいまに向かって話しかけている構図ではあるのだ。

日記をサボっている間に年も歳も越えてしまったし、なんなら転勤で県の境も越してしまった。別に辞めたって構わないのだけれど、曲がりなりにも一年以上続いた活動だし、そもそも純粋に文字を書くことが好きなのだから、ふと時間ができた隙に再開することにした。

再開にあたって時間をリセットして今月(2024年11月)から書き始めても良かったのだが、せっかく月に一回程度の更新頻度にしていたのだし、穴が空いてしまっては活動としての価値も落ちてしまうと考え、前回から地続きの時系列を保つことにする。

さーーーて、前回から1年と3か月の間が空いているぞ。
これから頑張ってゆっくりと空白を埋めていくことにしよう。

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去年の8月って、なにやってたんだっけ?

人生といえども毎日毎月なにかが起こるわけでもない。
プライベートだって仕事だってルーチンが大半を占め始めてからずいぶんと時間が経っている。単に忘却していただけならば良いのだけど、昨年の8月は本当に何もなかったらしい(※一緒に遊んだ人、ごめんなさい。基本的にこの日記は一人でやったことを中心に書くことにしてます。いや、でも本当に誰とも遊んでなかったかもな。寂しいね)。

書くことがないならば日記などしなくても良い、という考え方もあって、それは正しくその通りである。反論の余地もない。
書くための材料もやる気も才能もないのならば、長く継続したことであっても、思い切って辞めてしまうのが好手である。むしろ無理して趣味を続けようとするのは、その人にとって有害になりかねないと僕は考えている。

しかし書くことは好きなんだよなぁ。
いやはや困った困った。

どうせ続かないって実績が示しているのにも関わらず、こうして再開しようとしているし。
もしかすると今回の更新を境に再び休載して、次に再開するのは10年後になる可能性だってある。どうせそのときには恥も外聞もなく今と同じことを書いてるんだろうな。しかしそれではつまらない。さて。

8月のことではないけれど、2023年7月24日にSNSの「Twitter」が「X」に改名された。僕としては名前はどうだって良いけれど、仕様変更についてはかなりネガティブな感情を持った。

TwitterをはじめとするWEBサービスにはAPIというものが実装されているのが慣例であり、TwitterにおいてはそのAPIを活用した様々なサードパーティーアプリが市場に存在していた。
僕はその中でも「Twitpane」というサードパーティーアプリを愛用していた。

僕の認識では、「Twitpane」はアカウントを横断したTwitter運用を可能としてくれる点が大きな強みであり、僕のTwitterの楽しみを格段に向上させてくれる存在だった。

僕は趣味の領域によってアカウントを使い分けており、「サプライ」のアカウントは主として現実の友人をフォロー/フォロワーの関係性として構築していた。それ以外にも執筆関係のアカウントや、好きなコンテンツに特化したアカウントを有している。

Twitpaneはそうした複数のアカウントのタイムラインをタブで簡単に切り替えて表示することが可能であり、単純にウォッチがやり易い。
それに加えて最も大きなポイントは、アカウントを横断した「いいね」や「リツイート(リポスト)」を可能とする機能があった点である。

つまるところ、「サプライ」のアカウントのタイムラインに流れてきたツイート(ポスト)を、別のアカウントでリツイート(リポスト)することが可能なのだ。これが意外にも便利。流れてくる情報は多種多様であり、時にはアカウントを横断して拡散したくなる情報も目の前に現れてくる。

Twitpaneがなければ、目にしたツイート(ポスト)を覚えておき、別のアカウントに切り替えた後に検索・再発見し、その上でリツイート(リポスト)する必要がある。そんなことする?と突っ込まれるかもしれないけれど、僕にとっては有意になるほど重要な機能だった。

イーロン・マスクがTwitterを買収したことにより仕様変更が敢行され、ありていにいうと、そうしたサードパーティーアプリがAPIを使えなくなるような仕様になってしまった。厳密にはAPIの利用にかなりの費用が掛かることになった。

外部サービスにAPIを利用させることはTwitterのサーバーにとっては負荷を高めることになり、それはそのままTwitterの運営のコストとして圧し掛かる。APIの利用を排したことは経営的にも正しいと言える側面もある。
しかし後に残ったのは僕の楽しめるTwitterではないものだった。
果てには名前までも変わってしまったので、まるで別物である。

嫌味の一つも言いたくなる(いまは「ポストする」である)。


こうなってしまった後、Twitterを辞めると思っていたんです。他のみんなもTwitterを離れて別のSNSに移籍しようと息巻いていたし。
でも現実はそうなっていない。一年以上が経過したけれど、Xに代わるSNSは登場していないように感じる。

辞めてしまったのは、Twitter(X)というSNS自体を必要としなくなった人たちだ。それは別に改名や仕様変更に因るものではない。人生そのものが移り変わっていった結果だ。

きっとしばらくはXを続けていくことだろう。
きっとしばらくは日記の更新を続けていくことだろう。
どうせ日記の方は続かずにまた同じような言い訳を枕詞にした投稿をしてしまうに違いない。でも、どうせ辞めない。

なにせ「書くこと」はずっと好きなのだから。
この気持ちには未来形も過去形もない。

というわけで、引き続き、細くなだらかにとめどもなく緩やかに酸いも甘いもなく肩の力を抜きながら末永く、よろしくおねがいします。

(おわり)

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