「生老病死」
朝、眼が覚めると、「あぁ今日も生きていたな」と感謝する日々でした。
味のあまりしない朝食を食べて、顔を洗って歯を磨き、ベッドに 横になっていると、主治医の木村先生が様子を見に来てくれました。
自分は思わず聞いてみました
「先生、やっぱり髪の毛とか抜けるんですかね」
「いや、この抗がん剤は人にもよりますけど、髪が抜けたりはしませんよ」
少しだけ、安心しました、生きるか死ぬかの瀬戸際に立っているのだから、髪なんてどうだっていいだろうと思いますが、やはり気になってしまいます。
「まぁ命あっての物種だし」ある程度の副作用は規定内と考える事にしました。
午前中は病院も忙しいらしく、抗がん剤の準備ができたのは、 お昼過ぎでした。
いよいよ、原料は毒ガスだったものを、身体に注入するのかと少しだけ緊張しましたが、ここまで来たらあとは、自分の生命力しかない と、五袋に詰められた薬を点滴で流し込んでもらいました。
抗がん剤を打った後、生理食塩水をいれます、それを二回繰り返し最後に強力ミノファーゲンを打って終わりでした、余りにあっけなくて、何の症状も現れず初めての抗がん剤治療は終わりました。
気持ち悪くもならず、吐き気もありません、前回の塞栓のほうが遙かに辛かったと感じました。
「これなら、通院でいけるな」早くも道場が心配になり帰りたくなってしまいました。
自分の肝細胞癌は、約九センチの大きさがあり、肝硬変が進んでいるので、切り取ることは不可能でありました、最悪は肝移植手術を行うしか手段はないのでしょうが、高額の医療費とドナーを探さなければなりません。
最終的には、科学治療しかないとの判断でありましたが、抗がん剤治療には、激しい副作用が伴うと、聞いていました。
もしかして、自分の空手家人生はこれで終わりかもしれないと弱気な気持ちが頭をもたげました。
多くの人達に協力をいただき、苦しい経済状況を二十年間も耐え、これだけが、自分の使命と思い継続してきた松栄塾の空手道場。
後継者と頼りにしていた息子の敦史は、現在、配管工の仕事が忙しく道場を継いでいる場合では、ありません。
もう少し会員が、増えてくれれば、息子に給料でも出して、あとを継いでもらうのだけれど、今は家賃を払ってほとんど残らない現状です。
思うにやはり死んでなんて、いられない。
ここで死んでしまったら、 自分の人生は何だったのかと言うしかありません。
様々な悲しみは仕方ないけれど、後悔は恐ろしいと感じました。
「死んでも死なないぞ」自分でもよく分からない決意を固めました。
一度目、二度目と抗がん剤治療が、続くとさすがに副反応が現れてきました。
まずは微熱が続きます、毎日38度から39度の熱が続き、身体がだるくて仕方がありません。
突然立ちあがると貧血を起こして、目眩を感じます、吐き気はなく食欲があるのは助かりましたが、稽古ができる感じではありませんでした。
あんなに大好きな空手ができないことは、何よりも辛く苦しいことですが、子供達の稽古を監督しアドバイスできることだけでも、感謝しなければと、自分に言い聞かせました。
うちの道場では、空いている時間帯にお母さんのエクササイズを行っています、病気でろくに動けない還暦親父に付き合って毎日のように、ボクササイズ、パーソナルトレーニングに来てくださる方々から、勇気と元気をいただきました。
抗がん剤治療を行っていても、何とか体力を維持できたのは、空手の型と午前中のエクササイズ指導をしていたからだと言えます。
ドクターからは激しい運動と疲れることは肝臓に負担をかけるので禁止されてはいましたが、ストレスを溜めてしまって精神的に負担をかけるのは、かえって良くないと考えました。
また、激しく体力を消耗させず、頭の中をクリーニングする呼吸法も、その昔、気の研究会に所属されていたT先生から習った事が大いに役立ちました。
安座の状態から腹式呼吸を行い最終的には深く吸い込んだ酸素を臍下丹田まで落とし込む、決して無理な呼吸ではなく深く長い呼吸を 繰り返していると生命力が満ち溢れてくるような気持ちになれました。
空手の型においても呼吸の調整は切っても切れない関係にあります。
特に「三戦」「転掌」という型は、呼吸の仕方がもっとも大切になっています。
そう考えると今まで自分が五十年以上修行してきた武道空手は、病を克服する為にあったのでは、ないかと思えるようになりました。
「よし、俺は武術で病を治してやろう」と決意をしました。
とは言え科学治療を全く無視するのではなく、病院でできることは全て行い、可能性のあるものは、取り入れながら癌と闘っていこうという考えは変えませんでした、事実、格闘家のエンセン井上さんが、CBDオイルという大麻から抽出される合法のオイルが癌に効くということで、わざわざハワイから高濃度のオイルを送ってくれたり、元大道塾のチャンピオンで水素カプセルに詳しい渡辺先生がカプセルを大量に送ってくれたりと随分助けられました。
どういったものが癌に効いたかは不明ですが、そういう人達の真心が「病なんかに負けてたまるか」という心の力になったことは、まちがいありません。
そう言えば空手の弟子たちも還暦を祝うと共にシルバーの指輪をみんなでプレゼントしてくれました。
正面には松栄塾の刻印があ り、内側には「新たなる人生の門出に」と英語で表記されていました。
指輪をする習慣はありませんが弟子たちの想いと真心に感動することが できました。