経団連が「外国人政策委員会」を立上げ
経団連(日本経済団体連合会)が「外国人政策委員会」を立ち上げたとのこと。以下の記事によると、ようやく政府も経済界も外国人労働者を受け入れる体制整備を本格化するのらしいです。
記事中、バイデン大統領の発言も紹介されていました。
確かに、日本には技能実習生、特定技能外国人など多くの外国人が労働者として働いていますが、政府はの公式見解では、彼ら・彼女らは移民ではないとしています。
日本政府の論理で行けば、もし移民であれば、彼らの権利は保障するけれど、技能実習生や特定技能外国人は移民ではないから、権利の保障はしなくても良いということになるのでしょうね。
また、つい先ごろ、永住在留資格を容易に剥奪する入管難民法改悪法が国会で成立してしまいました。
入管難民法改悪は日本人の人権意識の脆弱性や排他的意識、差別意識、歴史観などが総合的に問われている問題です。
経団連の十倉会長は次のように言っています。
記事はさらに次のように伝えています。
最近の日本から失われたのは「矛盾」という概念ではないでしょうか?
政府は、一方では排外主義的、レイシズム的言説を許し、なおかつ、入管難民法を改悪し、日本で働く外国人の転籍を実質的に認めず、永住権剥奪を容易にしながら、日本に来て働いてくれと・・・これって「矛盾」でなくて何なのでしょか?
いずれにしても、経団連及び日本政府の今後の動向を注意深く、疑い深く見守っていく必要があると思います。
外国人の受入れ、移民受け入れに当たっては次のことが肝要だと思います。
「私たち日本人」ではなく、「私たち日本に住む者たち」と「私たち」の範囲を拡大していくことが大切です。
朱喜哲(哲学者)さんは、この「私たち」「われわれ」に注目しています。
「私たち日本人」と言った場合の「日本人」には、なんらかの必然的な「本質」を共有するという大前提があります。
でも、その日本人という「本質」に基づくと、本質を共有する「われわれ・日本人」とそこから締め出される外部(外国人)との境界を固定してしまうことになります。
この「本質」主義的立場に支えられた倫理では、「日本人」に対する倫理的態度と、日本人という本質を共有しない「非‐人間」への無慈悲な排斥とが論理的にも倫理的にも両立することになってしまうのです。
参考:朱喜哲 2024 「人類の会話のための哲学」よはく舎 p232
私は、「日本に住むわれわれ」の範囲を拡大していくことが移民を受け入れる大前提ではないかと思っています。そのためには、「外国人参政権」についても、真摯に検討する必要があるかと思っています。
「本質主義」や「われわれ」の範囲拡大の問題については、是非、以下のnoteの「4.本質主義と優性思想」もご笑覧頂ければと思います。
また、外国人労働については、次のマガジンもご笑覧願います。
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