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不思議・非常識な「生産性向上推進体制加算」


 1.摩訶不思議まかふしぎな「生産性向上推進体制加算」

 2024年の介護報酬改定で新たに設けられた加算に生産性向上推進体制加算(Ⅰ)と(Ⅱ)があります。報酬は月に利用者一人当たり(Ⅰ)が100点(月額約1000円)で、(Ⅱ)は10点(月額約100円)です。
 この生産性向上推進体制加算は介護老人福祉施設などの施設系サービスやショートステイなどの施設系サービス、さらに介護付き有料老人ホームや小規模多機能型居宅介護にも適用されています。 

 生産性向上推進体制加算は介護ロボットやICT機器を活用し、継続的な改善とデータ提供をした事業者が貰えるのですが、要するに生産性が向上すれば加算(お金)貰えるということです。
 その加算(お金)を誰が払うかと言えば、納税者と40歳以上の介護保健被保険者、並びにお年寄り、利用者です。 

 この生産性向上推進体制加算は、普通に考えれば、実に奇妙きてれつ、非常識、非論理的なロジックとなっています。

 「生産性が向上したからサービス料を値上げします!」は、世間一般では通用しないでしょう。非常識と言えます。
 消費者的には「生産性を向上できたのなら料金を安くして!」が普通の感覚です。
 もちろん資本家は生産性を向上させ相対的剰余価値を得ようとするでしょうが・・・

 例えば、食材料等の配食サービス事業者が「努力して生産性が上がりましたから月額料金を上げさせてもらいます」は通用するわけがないでしょう。
 「生産性が上がったのだったら、月額料金を安くしてくれ」と顧客に言われるに違いありません。

 または、ピアノ教室が「ICTやAIを導入して生産性が向上しました。ですから、月謝を値上げさせてもらいます」ということが世間で通用するのでしょうか? そもそも、ピアノ教室がICT化、AI化されて喜ぶ生徒さんや親御さんがいるのでしょうか? 

 私は介護サービスもピアノ教室などと同じだと思うのです。 

 介護サービス事業者の生産性が上がって喜ぶ当事者(利用者)はいないと思いますし、嬉しくもない生産性向上に対して、なぜ当事者がお金を払わなければならないのでしょうか? 
 生産性向上推進体制加算による利用者負担は微々たるものかもしれません。しかし、そのロジックの非常識性、非論理性が怖いのです。これを許せば今後も非論理的な政策に振り回されていくことでしょう。

 介護業界でこの生産性向上推進体制加算について異議を唱える人が少ない?いない?のにも驚きます。
 生産性向上は、資本に相対的剰余価値を与えますが、それに加えて利用者料金を値上げするとは・・・ありえないでしょう!

2.生産性向上信仰に異議あり

 私は、以前から政府の介護分野における生産性向上推進政策に異議を唱えてきました。

 そもそも原理的に考えて、介護事業・介護産業におけるドラスティックな生産性の向上は可能なのでしょうか。

 斎藤幸平(哲学者)さんは、エッセンシャル・ワークは労働集約型産業であり、自動化に向かないと次のように指摘しています。

 そもそも、エッセンシャルな部門は生産性を向上させるのに必ずしも適していない。多くのエッセンシャル・ワークは自動化に向いておらず、労働集約的である。その結果、機械化によって資本集約的になっていく他の産業部門と比較して、「非生産的」なものとして扱われることが増えていく。

引用:斎藤幸平2023「マルクス解体 プロメテウスの夢とその先」講談社 p358

 そして、同氏はケア部門で無理に生産性を向上しようとすると使用価値を劣化させ、事故や虐待の原因になると危惧しています。

 新しい機械で生産量が2倍、3倍になっていく産業部門とは異なり、看護や教育などのケア労働の生産性は同じように上昇することはない。それどころか、これらのケア部門においては、使用価値を劣化させ、事故や虐待のリスクを増大させることなしには、生産性を高めることができないことが多々ある。

引用:斎藤幸平2023「マルクス解体 プロメテウスの夢とその先」講談社 p358

 さらに、同氏は「ケア労働の性質上、生産力の向上には大きな限界があり、これが、「ボーモル病」と呼ばれる問題を生み出してきた。」と指摘しています。

 この「ボーモル病(Baumol's cost disease)」を調べてみたら面白かったです。

 ボーモルとボーエンという経済学者は、ベートーベンの弦楽四重奏を演奏するのに必要な音楽家の数は1800年と現在とで変わっていない。また、看護師が包帯を交換する時間や、大学教授が学生の文章を添削する時間は1966年と2006年の間で短縮されていない。

 要するに、ケア部門などの労働集約的な業態では、まったく生産性は向上していないけれど、自動車製造部門や小売部門のような商業部門では、機械や器具の技術革新によって絶えず生産性は上昇している、ということを指摘しているのです。

 実演芸術や看護、教育のような労働集約的な部門では人的活動に大きく依存しているため、生産性はほとんど、あるいはまったく上昇しないというのです。当然と言えば当然ですが。

 介護領域に生産性向上を盛り込んだ政府の意図は、介護人材が足りないから、生産性を向上させ、少ない人数でも介護事業を行えるようにしたいということでしょう。

 これは当然、損保ケア等の大資本の喜ぶことでもあります。
 ある意味、政府が音頭を取って介護事業者の生産性を向上を図り、企業の資本蓄積、株価アップを支援していくということなのでしょう。
 生産性向上を声高に叫ぶ政府、大企業には、介護サービスの利用者、入居者の視点、介護労働者のことは眼中にないと思います。生産性向上政策は、徹頭徹尾、資本の論理を貫徹するため、儲けるためなのです。 

 介護労働現場にICT、AIを導入すれば生産性が上がり介護労働者を削減できると考えるのは、クラシックのライブ演奏会などで、AIを導入するから、ベートーベンの弦楽四重奏を2人で演奏しなさいというような、お粗末でおバカな考えです。しかし、今の政府、大企業は真面目にこのようなおバカなことを考えているようです。

 しかも、生産性が向上したといって利用者から金を巻き上げるとは・・・この壊れた論理が大手を振ってのさばっている日本が怖いです。


 以下のnoteをご参照願います。

  介護領域における生産性向上の問題点は以下をご参照ください。

 相対的剰余価値については以下のnoteをご参照ください。

 

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