たった一人の採用がスタートアップの命運を左右する、「カルチャーフィット」の致命的な落とし穴。|カルチャーデザイン
誰かと集中して話していると、フル回転した脳ミソから自ら発する言葉を通じて、勝手に「解」を導いてくれることがありますね。
とあるクラブ活動での話です。
先日、こちらのタイトルにもある下記noteを話のお題に、@yukawasa と朝からハイカロリーな60分1本勝負を行いました。
お題の中身は上記をご参照頂くとして、この手の話は突き詰めると必ず行き着くラスボス、企業経営におけるオセロの四隅があります。それが、
「採用」
というビッグワード。さらに言うと、次の一言に尽きます。
「採用におけるカルチャーフィットの見極め」
これはもう深遠なるテーマで、いくらでも議論の余地・改善の奥行きが広がっていますね。人の集合体である「組織問題」を突き詰めると、結局は「入り口」でのコントロール、人体へのメタファーであれば、
いかに自らの口に入れるものを見極め、質を高め、制限するか。暴飲暴食せずに必要な栄養素とエネルギーを摂取するか。
特に急速な組織成長が前提のスタートアップにおいては、このファーストコンタクトにおける純度・濃度維持こそが脱メタボなカラダ作り必須となってくるわけですね。
文化を"まず可視化する"が、なぜアウトなのか。
そこで、大抵の会社がやることは次のような大号令です。
「そうだ、ビジョン・ミッション・バリューを可視化して浸透させよう!」
この"プロセス自体"はとても健全で、過度にトップや全社コア戦力の労力をかけなすぎなければ極めて有意義な成長過程の必須な予防接種となるでしょう。また「文化の輪郭」があるお陰で求職者側も自分に合う会社かどうかの当たりをつけることができるというメリットも当然あります。
しかし「企業文化」という無味無臭で、曖昧で個別性が高く、時に流動性も高い本来であれば曖昧なものを無理やり「カタチ」することによって、あくまでその企業文化の最大公約数、上澄みである「カタチ」に引きずられ、文化の一部だけが一人歩きすることは企業文化・組織デザインにおいて重大な課題だと思っています。
以前こんなことも書いています。
簡単に本文から引用してサマると、まずひとつに「手段の目的化」という罠があります。
特に、ビジョン、ミッション、バリューは、性質上これが一度明文化された瞬間に、それらを浸透させるというのが目的になりがちです。しかし、文化を育み、組織末端まで根付かせることに対して、コアバリューの浸透プロセスは一部に過ぎないんですよね。
かつ、企業組織固有の文化とは極めて曖昧で、永遠に100%網羅的に把握することはできず、「コアバリュー 」で明文化できる範疇は大抵の場合その文化の上積み的な最大公約数にすぎないと考えています。
さらに、「企業文化」そのものが持つ特性があります。
「文化」の成り立ちは極めて行動的で、身体的な活動、故に属人する。つまり文化は身体の延長なんです。つまり、「文化」の本質を突き詰めるほど、固有の「企業文化」を明文化・可視化した瞬間にそれは「文化」では無くなると考えるに至ります。
このコンテキストを語る上で、特に重要だと思う「視座」があります。
可視化 << 属人化
感覚的には逆だと思うかもしれませんし、そんなものはスケーラブルじゃ無い、カタチにしなければ仕組みにも制度にも組み込めないというのあ事実でしょう。しかし、敢えて踏み込むと
スケーラブルな属人化。
これこそ、
「採用におけるカルチャーフィットの見極め」という重大テーマに対する最適解なのではないかと思うのです。
そうだ、サイバーエージェントだった。
そんな「スケーラブルな属人化」を体現している組織があることを思い出しました。ここでようやく冒頭のクラブ活動の話に戻るわけですが、@yukawasaとの対話の中で、
・いかにして採用のカルチャーフィットを向上させるか
・企業理念から逃げない
・理念や文化を明確にしてそれに沿った採用をする
という定番の話に流れて行きます。そんな時、「可視化による浸透」に頼らず、むしろスケーラブルに甚大な労力とコミュニケーションコストをかけながら、企業文化という糠床を伝承させる秘伝を実践している会社のことを思い出しました。
私はセカンドキャリアで、当時サイバーエージェントカルチャーに思いっきり舵を切らんとするECナビ(VOYAGE GROUP)に在籍していました(当時はサイバーエージェントの子会社)。実際、ハードワークな業務の傍らでサイドプロジェクトとして社員総会の総合プロデューサーなど「カルチャー伝承のハードとソフト」にどっぷりと関わり続けていました。
今振り返るとそれは「企業文化伝承プロセス」においては、あくまで一部のお祭り的な式典にすぎず、サイバーエージェントが「企業文化」という観点で「スケーラブルな属人化」を実現していたのは、実はもっと重量級でコミュニケーションコストのかかる泥臭い
「キャリブレーション(Calibration)」
プロセスにありました。働き方改革のビッグウェーブに伝統的企業が右往左往する中で、彼らが徹底してハードワークをする根底に、そんな「文化伝承」の"骨格"を垣間見ています。
生身の人間で、泥臭く文化をすり合わせる。
先ほどのnote「コアバリューをつくるな。」でも、スケーラブルな属人化において避けて通れないプロセスを次のように述べています。
明文化を可能な限り避けるプロセスにおいて、もっとも重要なのが
「キャリブレーション(Calibration)」
と一般には言われる「すり合わせ」作業です。その企業の文化を体現する人材やチームが、by nameで議論し、逆にそのキャリブレーションを通じて当事者が文化の理解を深めていく。極めて属人的で定性的で泥臭い作業なのですが、結局「人」の本質に寄り添えば寄り添うほど、こういったプロセスからは逃れることができないのだと思います。
"背中"で民を統べる。
これが私から見るサイバーエージェントという会社の文化でありスタイルであり骨格です。さらに、あらゆる「言霊」を召喚し、時に言葉を尽くして上から下へ「流儀」の浸透圧をひたすらに高め続けること自体が、彼らの企業成長におけるキードライバーです。
そんな組織の文化的骨格、構造を理解する上で大事な前提は、彼らはプロパー(新卒)文化が土台となっています。
○○年エントリーという大量の母集団を形成して、採用の軸を持ちながらも時に柔軟に大量の面談・グループディスカッション・インターン・合宿...というプロセスとキャリブレーションを通じて1/100単位での見極めを行っています。
この、膨大な量の採用プロセスに駆り出させるのが優秀な若手社員、将来の幹部候補生なんですね。実際活躍している彼らが採用の現場に出て行くこと自体が、優秀な学生をグリップする力になっている点は揺るがない事実ですが、それと同等かそれ以上に重要なのが、
膨大な量の採用プロセスと、実在する人材のサンプルを通じて、どんな人物がサイバーエージェント的で、どんな人物がそうでないのか。360度あらゆる角度での文化のすり合わせが行われている
という事実です。彼らが採用の軸としている「素直でいい奴」というのはミニマムのカルチャーフィット要件、それを軸にあらゆる採用コンテキストで「サイバー的に良い/悪い」の言語キャリブレーションによって、上から下へ。幹部から幹部候補生へ。ひたすらに身体に叩き込まれるわけですね。実際は「勝手に身に沁みる」と言った方が良いでしょうか。
繰り返しですが、文化の可視化自体はプロセスとして悪くなく、むしろ「文化」自体で議論が起こること自体に価値があります。ただし、
明文化し切れないものを強引に「カタチ」にし、その「カタチ」こそ当社の文化の全てだと、それ以外の重要な文化的特性を結果的に切り捨ててしまう
ことが「採用時のカルチャーフィットを見極める」という観点においてアキレス腱となるのです。
明文化してカタチにしきれないもの。それを"身体感覚"としてコアメンバーに染み込ませ、それら全ての「カルチャー的なもの」を総動員して採用のYES/NOを判断していくべきなのです。
経営的な意思決定で言えば、"それ"にどれだけのコスト・リソースを投下するかという判断です。
文化すり合わせの本丸が、なぜ「採用」の現場なのか。
企業文化、組織文化について回るのは「浸透」というビッグワードです。
組織が拡大したり、時間が経過することによって経年変化的に文化の密度や浸透圧が下がる、というのは理屈で理解できると思います。
この文化の浸透率を高め、一定の水準を維持し続けるという試みにおいても、可視化された文化の唱和、評価基準への組み込み、文化を軸にした社員総会、掲載するポスター...様々な「HOW」があらゆる企業で涙ぐましく行われているわけですが、これらあらゆるHOWと対峙させても、「採用現場における文化のキャリブレーション」は一定水準以上の合理性があると見ています。なぜなら
企業文化の輪郭がもっとはっきりするのが採用の現場
だからなんですね。その根拠は、
会社の文化とは「誰を評価するか」に集約される
の一言に尽きます。
それぞれの会社では、それぞれの会社で評価される人がいます。多くの場合普遍の共通項があるものの、要は「相性」がありAという会社で評価される人がそのままB社にスライドして同じ評価を受けられるとは限りません。
ここに、人を軸としたコンテキストとして企業文化の差分があります。
つまり、文化は人に密結合しているんですね。故に、その会社で評価される人の姿勢、行動、結果…すべてが文化のコンテキストです。この、人を軸にした文化のコンテキストをすり合わせるのに最適なのが「採用/評価の現場」という理屈です。
誰が欲しい/欲しくない。
彼はウチっぽい/ウチっぽくない。
彼女はきっとワークする/しない。
リアルな「人」を対象にああでもない、こうでもないとあらゆる角度から文化のすり合わせを行う泥臭い採用/評価の現場にこそ、その会社の本質が長く幅広く横たわっています。
テック系カルチャーの代償なのか。
「非効率をハックする」
これぞテック系スタートアップの真骨頂です。
故に、「企業文化」も手っ取り早く明文化・可視化をし、採用要件に折り込み、評価基準に織り込んでシームレスな文化のアルゴリズムを築き上げるわけですが、
0か1かのアルゴリズムで解ききれないのが「企業文化」というニュアンスであり、スタイルであり、価値観であり、癖であり、信念です。
極めて身体的で有機的、時に合理よりも情理で動く「組織」のDNAは簡単にコピーしたりアルゴリズム化できるわけではないと考えています。
故に、スケーラブルな属人化で一定のコミュニケーションコストをかけ続けるという文化の伝承作業に、テック系カルチャー自体がアレルギー反応を起こしてしまうのも無理はありません。
しかし、敢えて物理的な糠床のように、自ら手を突っ込んで五感で感じ、時間をかけて丁寧に紡いで行く作業こそ、企業文化の伝承に極めて重要なプロセスなのではないでしょうか。
採用のミスマッチ。
採用時のカルチャーフィット。
此れを極める道に、近道は見当たらない。
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