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昨日の活動記録ー不登校の親

こどもが春休みなので実家に帰省。週末までゆっくりする予定。

出発前に、朝から学校の諸費用の手続きに銀行へ。
銀行へ行ったのはいいが、到着したら、今は昼休憩で窓口は空いていませんとのアナウンスが。
一旦、家に戻ろうか、どうしようか悩んだけど、車の中で自分時間を過ごそうとゆっくり約1時間弱を過ごした。
駐車料金が、銀行の用事だけだったらすぐに終わるし、無料だったはずが、一人時間を過ごしたから、200円かかってしまったけど、この200円かかった時間で一人時間を有効に使えて特別感を感じられたのはとっても幸せを感じる。
その、200円を気持ちよく払えた私に万歳!

そのまま、娘ちゃんの学校へ行き、書類の提出と、給食停止の申請の書類を書いて提出。
教頭先生が、始業式待ってますねと丁寧にあいさつしてくださって、すぐにはいけない娘ちゃんだけど、いつでも待っていますよと聞こえた。
昨日までは、すぐには学校へ行けない状態なのにわかってくれないなぁと感じていた私でしたが、今日はなぜだか、教頭先生がとっても娘ちゃんに会えることを楽しみにしていくれていたり、歓迎してくれているのを感じて嬉しかった。
自分の心の持ちようや、感じ方、とらえ方でこんなにも同じ言葉をかけられても受け取りが違うのかと思った。

最近、人付き合いに疲れていたり、SNS上での友人関係の距離感がわからなくて悩んだり、日々がしんどいなぁってばかりになって疲弊していたけど、
今日は昨日の教頭先生の一言がやけに自分に沁みる。嬉しい。

娘ちゃんが、少しずつ元気になってきて、今では学校へ行くために勉強を頑張りたいとやり始めていることなどを教頭先生に話した時に、自分事のように一緒になって喜んでくれた。そんなに喜んでくれるの?お世辞かな?と最初は思って疑ってしまったけど、やっぱり教頭先生はこどもの幸せを考えてくれている先生なんだなぁと今日は感動している。

人のやさしさを、素直に受け入れられない程に、自分の身体も心もきっと疲れ切っていたんだなぁと実家に帰ってきて1日で感じる。

そして、孤独感をとっても感じていて辛かったんだと。
これは、私が自分との向き合い方や、自分を知ることを深めていくきっかけに過ぎないんだと思うけど。

何事も、現実には直ぐには現れなかったり、目にはみえないこともあるので、停滞したり、進んでいないように感じて苦しくなったりするけど、本当に微小でもすべての出来事は前に進んでいる。
その分、毎日行動しているのは事実なんだもん。
毎日何もしていないっていう人でも、呼吸もしているし、頭であれこれ考えることも出来ているし、心臓は動いているし、身体の細胞は生まれ変わっていっているし、生きている以上何もしていないはありえないんだよね。

私たち、人間が地球上で生活していることで恩恵を受けていることも、与えていることもあるから、自然界がなりたっている。

だから、娘ちゃんが不登校になったことにも、私が人間関係に苦しくなるのにも意味があるんだよね。

今回の、帰省では新たなチャレンジがあるので、その結果が楽しみ!
少し冷や冷やしながらも、大きな成長が待っているんだろうなぁ。

いつも私の身勝手な行動を快くOKしてくれている旦那さんに感謝♡

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