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note及びSNSに書けないこと。活用内容と次元の別
どうも、日々の投稿を、小説でするのに抵抗があります。
当初は、毎日投稿すれば、自分的にも日々のリズムにもなると思っていたし、
別に毎日書きおろしにしなくても、書きためたものを分割で出せばいいのだから、むしろ勢いがつきそうに思うのに、
どうにも抵抗がある。
なぜなのかな…と思っていましたが、
たぶん自分の中では、ネット投稿は「今、この時の刹那的なもの」として、やがて流れて消えてしまう印象があることと、
ブログやSNSは、どっちかといえば随想向きで、自分を剥き身でさらしている感覚があるので、
そこに同時に“幻想”“フィクション”“非現実”を書きづらいみたいです。
そもそも私は、一人称で小説を書くことに抵抗があるタイプで、フィクションに自分自身が混入させるのも好きではない。
同じ理由で、和歌・短歌を歌う活動をしていながら、即興を「音」として出すならまだしも、
「文字」として言葉を、ネット上に刹那的に出すのも、なんとなく抵抗があります。
しょせんは、古典的思考なのかしら。
noteは、他のSNSよりも、書いたものが刹那的でなく永続的に残り続けるから、流れて消えることは考えなくていいと思うのに。
絶対に紙媒体でなければイヤというわけではないし、
今の時代、ネットのおかげで自己表出しやすくなっている、その恩恵に浴しているとも思えるのに、
ある部分の境界を、どうしても超えられないみたい。
私にとって「小説」は、古代和歌でいうところの
「玉櫛笥を開く」行為で、
私の自我が見えないところ、私自身を知らぬ人達の場で、開いて見せる“非現実世界”であり、
そのくらい自分を離れなければ、物語に集中して表すことができないもののようです。
せっかくnoteを使っているけれど、
今のこの場所では、小説と自作短歌は出せないかも。
もしnoteで小説を公開するなら、
まったく別の名前と、次元を変えて、そのためだけの再構築をすることになると思います。
それでも今の、この場所では、ここでしか表せない文章内容や、音・響きや光景を、続けていきたく思います。
ここは、読むのも書くのも出会うのも、他に替えがたい、本当に楽しい場所だから。