私は本番に強い
普段の練習の時には、お世辞にも上手くも見栄えもせず、テンパってばかりで落ち着きもないのに、
試合とか、本番の舞台になると、妙に肝がすわって見栄えがし、“別人”に見えると、よく言われてきた。
また、第一印象だけはいい、と言われることもある。
もの慣れていないから大人しくしているだけだが、それがしっかりと落ち着いて見えるそうで、
そのため、面接試験や、かつて親の見栄でさせられたお見合いなどでの評価はよかったようだ。
ただし、普段がさほどでないから、
二度目に会った時に「騙された…」みたいに言われることが多かったりする。
別に騙してもいないし、猫をかぶってもいないのだけれど。
本番の時と、第一印象だけは良い…
自分では、それがいいことなのかどうか、まるでわからない。
通常では、そのせいで損してる気もする。
まぁ、やるだけのことをやって臨んだ本番で、常以上の成果をあげられるのは、
逆よりはいいかなと思うのだけれど。
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子供の頃、田舎での学校や親は、ちょっとでも間違ったり、大人の意向と異なることをすると、
ゲンコツと共に、延々とこき降ろされるような環境だった。
うっかりなんて許されず、個性も否定されたし、
笑って済ますなんてことは、冗談でもあり得なかったから、
ほんのちょっとした間違いを大人に見つかるのが、怖くて仕方なかった。
子供のお稽古ごとでも、
「間違わなくて当然」「上手くできて当たり前」、というくらい厳しいのが常で、
好きで始めたのに、怖すぎて、コンプレックスのみ刷り込まれたこともある。
しかし、大学に進み、親元と地元を離れてからは、根本的に環境が変わって、救われるようになった。
大学のサークルから始めた、伝統芸能である能楽は、
その流の長であるような能楽師が師範であったため、貴重で恵まれていた反面、
サークル活動というより、弟子入りみたいに厳しく、真剣だったが、
ある時、舞台前に先輩から言われたのが、
間違えないのが大事なのは当たり前だが、たとえ舞台上で間違えたと思っても、それを顔に出さず、動じず、止まらずに、堂々と続けるのが大事だという「教え?」だった。
観ている人に、ギクシャクした不自然さを気づかれたら、舞台の流れが滞る。そのくらいなら、これは間違えではなく演出なんです、くらいに開き直ったほうがマシだと。
たぶん、緊張をほぐしてくれるための言葉だったのだろうけれど、
そう言われて、確かに気持ちが楽になり、かえって間違えることなく、稽古の成果を出していけたと思う。
私はもともと表情が顔に出にくいタイプだったのと、能が性に合っていたのか、
舞台上ではほぼ無心で、本当に能面のごとき表情で、稽古により体に染みついたままの所作をこなしていたのだが、
結果、
「練習ではあれだけ情けなかったのに、なんで本番では、あんなに堂々としてるんだ」
と、先輩や同期にあきれられることが多く、
その頃に、「本番に強い」と言われるようになった。
ちなみに、編入学や大学院の受験の際には、
模試では落第点ばかりなのに、本受験で高得点をとり、難関突破することがよくあって、
関係者や落ちた人たちから、カンニングや裏口じゃないかと、疑われたり、陰口を叩かれたことが何度もあったけれど、
そもそも模試は、試験の傾向を知り対策するために受けるのだから、
模試で悪い成績でも、本番で克服できるのはあたりまえじゃないかと思ったものだった。
それに、やりたいことがあって臨んだ受験なので、
運よく受かればいいな…なんて気持ちではなく、
受かったあとの希望しかなかったから、その一念は、誰にも負けない自負だけはあった。
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普段はパッとしないのに、
なぜか本番では、見栄えがしたり、結果を出すことができている。
幸運でもあるけれど、たいがいそういう時は、やるだけの努力や稽古をしてきていて、たとえダメでも腹をくくれる覚悟ができていた時に限っていたと思う。
成功も失敗も、誰のせいでもなく、
本番で頼れるのは自分ひとりだし、
その先に来る結果に希望を抱けるだけのことを、最低限でもできていると思うことで、
緊張で足がすくんでも、自分を信じて場に臨むことができる。
まぁ、いうほど度胸も自信も、あるわけではないが。
それでも「本番の時」は必ず訪れる。
いつもいつも、本番で成功してばかりではないけれど、
やるだけのことをやったと思うことで、本番で腹をくくれるということはある。
定型として失敗だったとしても、全体の迷惑のなって穴さえあけなければ、結果オーライとあきらめて、振り返らない。
本番を重ねるごとに、図太くもなっていった。
そもそも、親や先生に叱られる、怒られる、
だから失敗が怖くて、逆に失敗ばかりしては、萎縮して動けなくなっていた、
子供の頃の教育法が間違いで、
怒られなくても殴られなくても、一番失敗を悔やむのは自分自身なんだから、
誰に何を言われずとも、自分が反省すればいい。
そして、反省するだけしたら、次に活かすことを考えていきたい。
一生の後悔であっても、もうその時には戻れないし、もう一度はないことが多い。
目指すのは、新たなる次の機会に、後悔したくない決意を、心に刻むこと。
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最近、久々の舞台で、
自分ではちょっと後悔があるが、全体として、想像より結果オーライになったことで、
そんなことを思い出し、そして改めて思ったので、書き置いておく。
私は本番に強い。
そう思いこみながら、今後も、自分なりの稽古を積んでいこうと思う。