20241016旅記録③月心寺外観
今回の目的は、
逢坂の関前後の蝉丸神社三社と、その近辺を歩くこと。
Googleマップで、位置関係だけを確認、
目的地はほぼ道沿いなので、わかりづらいことはないだろうと、事前にあまり調べずに、大雑把に計画していました。
京阪大谷駅は、無人の小さな駅。
初めての路線で知らなかったのですが、
この電車、京都市内は山科まで地下鉄、ここ大谷から先は、路面のチンチン電車になることを、一日歩いて初めて知りました。
多才な電車だなぁ、ビックリです。
さてこの日は、そこそこ暑かったとはいえ、真夏でもないのに、
スマホのカメラがやたらと落ちるし、エラー続きで画像を保存してくれないので、記録にやたらと苦戦しました。
スマホの機嫌をとりつつ、まずは月心寺を目指します。
ここにも、逢坂の関らしい名残りの史跡があるそうなので。
道すがらに、大津そろばん発祥の家が。
今はどなたも住んでおらず、そろばん製造もしていないようですが、
街道沿いでもあり、近江商人の名残りがこのあたりにもあるのですね。
駅から十分ほど、京都方面へ戻る形で道沿いを歩いて、月心寺に到着。
ここは以前、各地の尼寺さんのことを調べていた時に名前を知ったお寺様で、
丁寧な精進料理でもてなしてくださることで有名。
確か、朝ドラの舞台になったこともあったはずです。
観光寺院でもなく、日々賑わうエリアでもないためか、常に開門してはおらず、
寺内の拝観は無理のようです。
とてもいい趣だったので、門外の道から覗ける範囲で、写真を撮らせていただきました。
明治天皇が、京都より東京へ行かれる折に、走井茶屋で休息された、いわば“明治維新第一歩の地”を顕彰している碑のようです。
当時としては、日本武尊が景行天皇御名代として以来の東下り、
『蝉丸』の逆髪と違い、貴種流離ではなく凱旋としての行幸ながら、
まさに、「花の都を立ち出でて」「名残り惜しの都や」と、永の父祖である京をしのびつつ、これから向かう東の京に新たな日本の希望を見はるかす、その境の地としての顕彰なのでしょう。
外から見ていても、広大な敷地で、
管理が大変だろうと思います。
けれど、歴史あるとてもいい佇まい。
しかしこちら、もともとお寺だったわけではなく、昭和終戦時頃までは日本画家・橋本関雪の別荘で、
さらにそれ以前、明治初期までは、峠の茶店だったとか。
こちらの敷地内に湧く「走井の水」は、和歌にも謡曲にも歌われる名水で、
平安王朝の頃より、井戸の水は往来の旅人たちを潤し、走井茶屋では、名物“走井餅”がふるまわれました。
今も水はこんこんと湧き続けているそうです。
(後記:関蝉丸神社下社の走井は枯れているそうで、こちらは現在、どうなのでしょう)
しかし東海道線や道路が開通し、足で逢坂山を越える人が激減したことで、茶屋は廃れ、石清水八幡宮のご門前に移転、
その跡地を、橋本関雪が所有。
橋本関雪は夫人病没の後、禅宗に改宗し、その死後、ご令息の願いにより別邸を禅寺としたとのこと。
それが昭和二十一年のことというので、お寺としては新しく、
また、開山時の初代住持は男僧でしたが、
昭和三十六年に尼僧である村瀬明道尼が二代目住持となられ、この尼様が、精進料理のおもてなしをなさったことで、尼寺として有名になったようです。
逢坂山は、能楽『関寺小町』の史跡でもあり、
こちらには、運慶作と伝わる、零落し醜悪な老骨姿となった“小野小町百歳像”が、茶屋の頃からあるそうで(関雪は、運慶作とは思えないと言ったらしい)、
叶うなら拝観したかったなぁ…
これらの話は、
より参照しております。
精進料理は当然、要予約ですが、
拝観も事前予約で、10名以上から、と、ご門前に書いてありました。
ひとりでじっくり拝見したい風情ながら、ひとり旅には厳しい…
とはいえ、常時開門して、観光客などにむやみやたらと踏み荒らされても迷惑でしょうから、致し方ないです。
奈良だと、以前はよく、
ふだんは拝観停止のお寺でも、遠方からのひとり旅には、門を叩けば導き入れてくださるところがあり、お話もできて有難かったものですが、
最近は、古き良きを愛し、しっとりと訪れるひとり旅者も少なそうだし、
近年は特に、「拝観」の「拝」の礼儀も知らず、拝観料払ったから何してもいい、ろくに鑑賞もせずに踏み荒らしただけで帰る、みたいな一見(いちげん)観光客も多いみたいだから、
門戸がかたいのも、お寺を守る正しい在り方に思えます。
しかし、よくよく思えば、
参照した本の取材がされた1992〜4年時点で、明道尼様は大正十三年生まれ六十八歳、おひとりでお寺を守られているとのことですが、
それから三十年経っています。
旧茶屋からの遺構や、橋本関雪別荘だった頃の佇まいは、風流なしつらえのまま、禅寺に継がれたのでしょうけれど、
深山の風情で大木が緑豊かに繁るこの地を保持するのは、相当に大変と思います。
荒れているとはいえないながら、ひとけも感じられず、なんとはなしに淋しげだったご様子に、
推し量れないほどの歴史を積み重ねた風情ある名所が、逢坂の関と共に、守られて維持されることを、無責任な門外漢ながら、祈る思いに駆られました。
《追記》
旅からの帰宅後に見つけた、石清水八幡宮ご門前の走井餅さんのブログ。
(見つけるのが、遅きに失している…)
寺域内の史跡の様子は、こちらに詳しい写真などが載せられていました。
走井餅といえば、以前、石清水八幡宮ご門前でいただいたことがありました。
なんで、逢坂山の走井が、岩清水?と思ったら、こういう仔細なのですね。
そして、こちら、2024年現在の様子の記事があった!
今は、橋本関雪画伯のご一族が管理されているのですね。
橋本関雪ゆかりで、今も拝観が叶う旧跡は京内にも多いようで、頼もしく存じます。
いつか、寺内の拝観などが叶う機会があるといいなと思います。