風に鳴る…箜篌という琴
私は、「眞琴」という創作琴を愛用し、和楽に準ずる音色を意識して奏で、和歌を即興で創作して調べを導くつとめをしております。
和琴や古琴に憧れるものの、さまざまなフィールドワークや巡拝の旅と共に持ち歩き、どこでもすぐに奏でられる琴を求めた結果、たどり着いたのがこの琴でした。
眞琴は、東日本大震災をきっかけに、それまでまったく楽器に縁がなかった一個人が発願し、一年後に完成をみて、その後、さまざまなバリエーションで創作され続けている、弦楽器。
店舗に出廻らず広告も打たず、まったくの縁により求められ、たったひとりの製作で、世界中に普及するに至った、奇跡のような楽器です。
特に弾き方・奏で方に決まりはなく、持つ者それぞれが自由に、自分に適した奏で方で活用しています。
眞琴は、弦楽器としては、“ハープ型”に分類され、
琴柱や弦を押さえて音階を変えられる“ツィター型”と違い、
一弦一音で調律しています。
自分で“ハープ型”の琴を使っていて、つねづね不思議に思ったのは、
日本において、古代から現代まで伝わる、箏や和琴や、琴(きん)類は、みな“ツィター型”。
古代から現代に至るまで、“ハープ型”は、なぜないのだろうということでした。
現代、ライアーのような一弦一音の創作琴が、職人以外でも創られるように、
原理がわかれば、弦楽器としては、ハープ型のほうが、造りも奏で方もシンプルに感じるのに、
隠棲者が手すさびで、箱板に弦を張ったと伝わる一絃琴でさえツィター型。
一応、ハープみたいな琴は、あることはあったみたい。
「箜篌(くご)」という竪琴で、正倉院に所蔵があり、復元された美しい形態と、音色を聴いたことがあります。
残欠を、たぶんこうだろうと、あくまで復元したものだそうですが、
たぶん、これはハープ型ではないかと思います。
半蔵門ミュージアムの館長であり、奈良国立博物館名誉館長であられる、西山厚氏の、古代楽の講演を聞きに行った際に、復元楽器の展示と録音の音色を聴きました。
(西山先生は、かつての仕事の関係でお会いしたことがあったかもしれず、志向の上で接点やご縁が少なからずあるので、今、個人でお目にかかりたい筆頭のかたです)
西山氏のご著書『語りだす奈良 118の物語』に、箜篌について、
と著されています。
能楽などでも、天上の迦陵頻伽などが、仏事などで奏でる天空の描写で、名をみることがあったように思うし、
仏画などで、阿弥陀如来と共に表される音声菩薩の中に、それらしい楽器を携えた飛天がいらしたような。
一弦一音だから、いっけん、奏でるのは箏や琴よりたやすそうだし、
見栄えもよく、音色が妙なる天上の調べなら、好まれそうに思ったけれど、
なるほど、眞琴など現代創作琴のように、堅固に補強されたり、
金具や金属弦で固定されているわけでもなく、
今のような頑強な弦の張り方ができない造りだから、調律が難しく音階が安定せず、演奏には向かなくて、廃れたのか。
でも、それくらい適度に緩やかな張りだから、
風に響いて鳴ったのではないかしら。
YouTubeは有難いですね。
いい動画がありました。
こちらは見た目、ほぼハープみたいですが、
古琴との、素敵な合奏の動画がありました。
手を触れずとも、風によっておのずから鳴るという霊験から、
楽器としてではなく、装飾音として、
「風箏」とよばれ、 寺院の伽藍の屋根にとりつけられたり、
同じ原理で、
「エオリアン・ハープ」「ウィンド・ハープ」、
ギリシャ神話の「リラ」、
インドでは「ヴィーナー」と呼ばれる弦楽器もそうだといいます。
『音の神秘』を著した、ハズラト・イナーヤト・ハーンという二十世紀はじめのインドの音楽家が、ヴィーナーを奏でていたらしい。
でも、形状をみると、風箏やエオリアン・ハープ、ヴィーナーは、
箜篌とは違うように見えますが、楽器分類としては、どうなんでしょう。
寺院装飾音の「風箏」は、奈良・明日香の岡寺で再現されているそうなので、機会をつくって拝観に参りたいと思います。
手を触れずとも鳴る楽器……ということもあり、
今、別に、もともと「琴」とは、弾くものではなかったのではという仮説を書いています。
楽器・音曲の研究を専門でしているわけではないので、あくまで私見です。
ちなみにですが、風ではないものの、
弦に触れなくとも、弦が鳴るという体験は、私の眞琴でもありました。
たまたま、琴を抱いたまま弦に触れず、自身の全身で楽器のように響きを発して歌った際に、
琴が胴体ごと振動し、弦のすべてが音を発して鳴動したので、
歌いながらビックリしたことがありました。
数秒のことながら、弦を持つ「琴」の、本質的な意義を、体感した思いでした。
風というより、つまりは、弦をふるわせる波動で鳴るということでしょう。
私の眞琴も、箜篌のような奇瑞の楽器であれるかどうかは、
これからの私との研鑽によるかと思い、
身が引き締まります。
追記
この本、興味深そうなので読んでみたい。
高いし、また断捨離に迷うことになったらと、入手には戸惑うんだけれど…
伝統芸能関連の資料館図書館で探して、ともかくも内容を確認してから。
*
ここからは余談ながら。
ところで琴のような弦楽器は、
たいていの民俗芸能や、能狂言や歌舞伎でも、使われていません。
旋律は笛で、あとは小鼓、大鼓、曲により太鼓が使われるのみ。
昔は専門の既成の楽器が売られたり創られていたわけではなく、能管のように、実用者が自身で工夫して、楽器も創れていたのだろうから、
弦楽器だって、造れなかったはずはないのに。
そう考えると、
隠者や琵琶法師が持つ糸ものとは別に、
琴に関してだけは、皇族や貴族など高貴な者や、ある特定の、宮廷や神社仏閣などに属する楽人など、特殊な者にのみ許された、
神聖かつ高潔な、それこそ「世界を整える宇宙楽器」と認識され続け、
市井の芸能者には、創作琴さえ持ち得ない観念があったのかもしれない。
もっとも、琴に準ずる働きは、神事仏事や憑依芸能には不可欠。
能の場合、琴の響きに代わる働きとして、掛け声が重要で、
大鼓・小鼓・太鼓それぞれが打つ際に発する声は、
単に調子や合図ではなく、その音調にこそ、
神霊を導き出す重要な響きがあったと考えています。
おそらく、今のような発声ではない響きを発していたのでしょう。
それは、元来の「琴」という波動音具の、
原初的な特質に通じている。
琴のもともとの原初的特質は、
「奏で」ではなく、振動・波動・響きを放つ音具であり、
能楽の鼓と音声の響きの働きと同義であった……
というような仮説を、
実際に琴を抱いて和歌と調べをおろすようになって、
感覚として感じるようになったので、
これまで培ってきた研究成果を織り込んで、
自分成果として、
少しずつまとめておきたいと思っております。