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〜音を楽しみ、意を伝える〜 言葉に表せぬ共感表出としての楽器

言葉では伝わらない思いを音色にこめたくて。
楽器が友達だった。
小さな琴を抱き、横笛を吹く姿に憧れてきた。

子供の頃から、話しても伝わらないのがもどかしく、
どんなにしゃべっても、曲解や誤解で、真意が伝わらないのが恐ろしくて。

植物や動物には、ただ見つめるだけで伝わるのに。
そして、相手の心もこちらに染み込んでくるのに。

親や教師、学友には伝わらないし、こちらもわからない。
ただ叱られたり、見かけだけで嫌われたり。

人間だけが、不自由で理解不能で、ただ怖い存在だった。

動物や植物に、以心伝心できるように、
言葉ではなく、伝えられ、そして理解できたらよいのに。

いつの頃からか、楽器を分身のように思うようになった。
はじめは親の意向で通わされた音楽教室や、学校で義務だったクラブ活動だったけれど、
自分個人の楽器を持った時、自分が声を出さなくても、音楽で発せられるのが嬉しくて。
指導や指示も、音によって理解し、返せば済む。
同門や部員同士の仲が悪くても、合奏の上では調和し合える。音によってひとつに解け合えるのは、奇跡のように思えた。

けれど、演奏時以外の集団には馴染めない。
周りと同じように、間違いなく奏でないといけないし、巧みさを競う中では、楽しいより恐ろしいばかりで、
音を楽しむどころではない。

習いごとの場合は、その流儀にあわせ、師範に従うことが基本なので、自分の音を楽しむことは許されなかった。

間違えて叱られたり、下手くそだとけなされたり。

楽器も音楽も好きなのに、「好き」でいられない。
自分の愛器を抱きしめながらも、音を出すことが怖い。
人に聴かれるのが嫌。

思春期の頃は、ひとりで、“無弦琴”という話があるように、音を出さずに、奏でているイメージをしたり、人のいないところでだけ奏でて、ひっそりと楽しんでいた。

和歌・短歌に惹かれたのは、特に王朝和歌の場合、伝統的な約束ごとの単語を使えば、たった三十一文字でも、心の奥底まで暗喩で表すことができるから。
直接、喜怒哀楽を示すことなく、花や木や自然界の様々を読むことで、心を描くことができる。そして、声に出さなくてもいい。
ただし、当初は短歌会や同人に属していたが、本意を無視されて添削指導され、思ってもいない意味合いの歌にされてしまうことがあり、
たとえそれがどんなに名歌となり得ても、自分の心の歌ではないことが情けなく、個性を否定されイメージをつぶされて批判されたくなくて、
ある時期から、ひとりで人知れず書き留めるのみになった。

私の外見に難があるのか、声で話しても、真意が伝わらないのは、今も変わらない。

伝統的な芸能には惹かれたし、それを身につけたいという思いはあったけれど、
縛られ規制されて、出来不出来で評価されたくはない。
自由に奏で、自分の心を表したい。

ずっとそれを、望んできた。

結果として、制約や先例がない、自由が許される楽器・音具に出会い、たどり着けたのは、僥倖だったと思う。
主にスピリチュアル系のものではあるが、
既存の曲を奏でたり、奏法に特殊な技能が必要なく、
どのように活用し、表現しても自由。
センスと個性、直感的な即興に特化している音具ではあるが、
その中に、それまでに培ってきた探究を基に、自分が憧れ求めてきた音波動を表すことができる。

これまでつらいながらも習得し、やってきたことは、
基本として活き、学びとして身についている。

最初に出会った、勾玉型の琴は、宇宙楽器眞琴と呼ばれる、個人が創作した自由楽器。
私はこの弦楽器に、幼い頃に習った箏曲や、コンサートマスターをつとめたマンドリン、習うべくもなかったけれど憧れていた、やまと琴や古琴の響きを再現するすべを得た。

この琴を奏でるようになったら、自然に調べが声となって表れるようになり、ひっそりと創作するばかりだった、和歌・短歌が、即興で調べとなり、歌となった。
コンプレックスでしかなかった自分の声が、初めて、活きることになる。

次に、偶然知り入手した、チベット・ネパール由来の木製横笛は、
篠笛やバンスリ、笛子のようにメジャーではなく、横笛奏者があえて主笛として選ぶことがないようで、奏者を知らず奏法も未知だった。
それゆえに、自由が許されている。

自分で音と運指法をみつけ、譜を作り練習、
いずれは即興を主とできるよう、自主鍛錬中。
横笛としては、かつてクラブ活動でのパートだったフルートや、師範について修練した能管の技能を、基本として活かすことができている。

会話や談話として、自分の心を伝えることは、今も苦手だし、正確に伝えることができない。
それでも、楽器が、音が、響きが、言葉ではない自然な息吹を伝えてくれる。
どれだけ言葉を尽くしても正確に伝わらぬ心も、和歌により、表し歌うことができる。

そのすべにたどりつけた自分は、おそらくこの上なく光栄で幸せな生涯なのだろうと感じる。

評価され誇示するためではなく、傷つけられ貶されることもなく、
風のように、鳥たち魚たちのように、言葉なき動物たち、木々草々のように、
ただ波動で感じ合うことで通じ合える、そんな自然な音を奏でていきたい。
それを受けとめ、共鳴してくれる人と出会いたい。共に奏でたい。

それが望み。


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