ながめせしまに みなうつくしき
〜 花の色は 移りにけりな
いたづらに わが身世にふる ながめせしまに 〜
『古今和歌集 巻第二 春歌下 113』
小野小町の歌。
美しさで知られる小町が、自身の容色の衰えを譬えた歌として、あまりに有名ですが、
私は今、
譬えとなった、春の長雨で虚しく色を変えて散りどきに向かう情景のほうを、
今現在の雨続きの空に、感じています。
長雨のうちに、見頃が近づいた花たちの色が、虚しく衰えてしまうのでは…そう思うと、やはり寂しさを覚えます。
ただし、人がにぎやかに花見ができない、人が見ないから虚しい……なんていうのは、人の感情。
「花腐し(はなくたし)」などと表現されても、木にとり花にとっては、これから次々に目覚め伸びゆく草木の芽吹きの、滋養の雨、喜びのしずく。
草木は、花のみに価値があるわけではない。
花は、この後の実りと豊かさの、先駆けの予祝。
花が終われば見向きもされずとも、それは人の勝手。
それでも、人々が春の華やぎの中で、花に集い、笑いさざめき、心を寄せて眺めるさまも、草木にとっては喜びとなっているのでしょう。
それゆえにこそ、花見には意味があります。
〜 ……桜月夜 こよひあふひと みな うつくしき 〜
桜にぎわいの人々を、そう読んだのは、与謝野晶子。
花は、人の心を映します。
雨がやんだら、潤いに満ちた土に育まれ、
桜を含めた、匂やかなさまざまな花たちの饗宴を、
野山や公園で楽しめる陽気となるとよろしいですね。
集う人々は、みな夢見心地に美しいでしょう。
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