記憶脳ってどうなってるの?自分の歌を覚えられない。
私は現在、創作竪琴を弾きながら、
伝統の古典和歌や、
即興で創作した奉納和歌を、
そらで歌っています。
もともと和歌の研究者だったし、
早くから短歌同人で鍛えてきていて、
和歌・短歌には慣れ親しんでいます。
少女期から大好きだった、
『萬葉集』はじめ、古典和歌から近代短歌まで、
大和言葉は記憶のひきだしに、
暗唱可能の状態で覚えられています。
一度記憶し、声に出して歌うことができれば、
生涯忘れない。
学生の頃に舞台を踏んできた能楽の謡曲を、
十何年も謡う機会がなくても、丸ごと忘れていませんでした。
……そんな私、今現在、初めての経験で、壁にぶち当たっています。
自分が創作した“和歌”を、覚えられない。
この春、依頼をいただいた舞台で、
即興ではなく、
テーマに即してあらかじめ提示した創作和歌を、
数首、歌い奏でることになっています。
ほかならぬ、自分が読んだ和歌・短歌。
調べをつけたのも、私自身。
まさか、それを復唱するのに、これほど苦戦するとは思わなかった…なんて事態に、
生まれて初めて、陥っています。
他者の歌を覚えるほうが、まだスムーズなような気がします。
自分から出たものだから、逆に、客観的に覚えられないというか。
即興のように、瞬間的に記憶のひきだしから紡ぎ出すのと違い、
自分のイマジネーションで、決まった言葉のみを再現するのが困難なようなのです。
何度も推敲して言葉選びをし、
時間をかけて仕上げ、
書き出して記録した段階で、
自分でありながら自分でない次元に、切り離されてしまったような感覚。
即興以外の経験がないわけでは、もちろんありません。
むしろ、短歌同人での歌会や、歌集に載せるための創作では、
時間をかけた推敲や反芻は当然ですが、
書き出して完成させたところで手放せるので、こんな事態に陥ることはありませんでした。
自分の中にしかないイメージで、
言葉選びの末に完成させた歌が、
一度、私から切り離されたことで、
改めて記憶に戻せなくなっている…と言いますか。
テーマに即しているため、同一イメージで、
似通った言葉を言い換えて、
複数歌にしたことも、
改めて記憶する上で、混乱のもとになっています。
ちなみに、
記憶するにしても、
暗唱と、黙読、
声に出して読むのと、歌うのでは、
それぞれ記憶する中枢が異なるらしい。
言葉で覚えていても、声に出して暗唱できなかったり、
暗唱できても、歌うとわからなくなったり。
歌は歌として、言葉は言葉として、
違う覚え方をしないとあかんらしいのです。
我ながら、不器用極まりない。
ともあれ、
私が創作した歌を、私自身が歌うのだから、
大舞台で、ど忘れなんて、
どんな言い訳も通用しないのは当然です。
一刻も早く、死にもの狂いで、
何度でも何度でも、
手で書き、目で見て、耳でも聴いて、
そらで反芻して、声に出して、歌って、
本番の際、たとえ緊張で頭が真っ白になっても、トランスでも、
本能的に自然と流れ出るほどになるまで、
あらゆる方法で記憶に焼きつけなければ。
本当に、これは、
私史上、初めて経験する試練です。