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孤独なる渇望

 なんだか胸の奥がずっと重いままだ。
どうしようもなく淀んでいて、ただ身体を引きずって生きているような気分だ。
思考の隅々まで濁っていて、目を閉じるたびに嫌な妄想ばかり浮かんでくる。
最近はとくに眠りが浅く、もともと薄暗い気持ちがますます深く沈んでいく。
それでも、身体の底にある欲望だけはくすぶり続けていて、いつ爆発するかわからない。
独り身だということがこんなにもこたえるなんて、若い頃には思いもしなかった。
静まり返った部屋に戻ってくるたびに、虚しさと悔しさが入り混じったような苦い味が口中に広がる。
仕事から逃げるように帰宅しても、結局はこの孤独が待っているだけで、どこにも逃げ場なんてない。

 外を歩けば若い女性がちらほらと目に入る。
輝くような笑顔や、艶のある髪をなびかせて急ぎ足で通り過ぎていく様子を見ると、身体の奥がじんじんと疼く。
彼女たちの存在感は圧倒的で、まるで自分が何か惨めな虫けらのように思えてしまう。
触れてはいけない、けれど見ずにはいられない。
そういう禁断にも似た衝動が、脳内を支配しているのをはっきりと感じる。
俺よりもずっと若い男たちと気軽に話し、笑い合っているのを見ると、妬ましくてどうにかなりそうになる。
誰とも分かち合えないこの煮詰まった感情を、どこにぶつけたらいいのか皆目見当もつかない。
目をそらそうとしても、頭の中には輪郭のくっきりした胸や太もも、唇の柔らかそうな感触ばかり思い浮かぶ。

 どこかの居酒屋で一人飲んでいても、周りのグループ客の笑い声が痛いほど耳に刺さる。
遠い世界の出来事なのに、どうしてこんなに嫉妬にも似た感情を抱えてしまうんだろう。
知り合いの顔がない街で、やけに着飾った女性が通りすがるたび、勝手に想像が膨らんでしまう。
あの髪をかき上げる仕草の一部始終にどんな体温が宿っているのか。
あの足首から膝、そして太ももへと繋がる曲線に手を伸ばしたら、いったいどんな感触があるのか。
そんなことばかり、考えてもどうにもならないことばかりを考えてしまう。
情けないとわかっていても、この欲望の枷は外せない。
むしろ悲しみが増すほどに、身体が変に火照ってしまう自分がいる。

 時々、虚勢を張って街でナンパまがいのことをしようと妄想する。
実際に声なんてかけられないくせに、頭の中では勝手にシミュレーションしている。
「そんな年上も悪くないですね」と笑いかけてくれたらどうしよう。
そんな甘い想定をしては、結局は怖気づいて何もしないまま帰路につく。
そして、いつもの暗い部屋で天井を睨みながら自分の小ささを嘆くのだ。
自己嫌悪が募るたびに、どうしようもない欲望だけが形を持って俺を責め立てる。
風呂に入っていてもベッドで横になっていても、若い女の肌がちらついて離れない。
誰かに聞かれたら、そんな恥ずかしいことを考えているなんて決して言えない。

 仕事場ではみじめなほど誰とも深く話さない。
同僚の雑談もどこか上の空で聞き流している。
「週末は家族サービスで忙しくてさ」とか「彼女と旅行に行くんだ」なんて話を聞くたびに、疎外感ばかりが増幅する。
俺だって、昔は誰かとどこかへ出かけたり、手をつないで歩いたりしていたはずだ。
その思い出の残骸だけが、かろうじて俺の中に人間味を保たせているような気がする。
だがそれも今は、安いテレビドラマを見ているような気分で思い返すしかない。
そんな過去の断片すら、生々しい現実の妄想に塗り替えられていく。
根深い焦りが、ますます俺を醜くしていくようで堪らない。

 帰りの電車で若い女性が隣に座るたび、妙な鼓動が早まる。
香水だろうか、それともシャンプーの匂いか。
僅かに甘い香りが鼻をくすぐり、それだけで下半身に血が集まっていくのがわかる。
自分がこんなに単純な生き物だったのかと情けなくなるが、どうしようもない。
ちらりと横顔を盗み見て、唇の形や頬の上気した色を想像しただけで、おかしくなるほど興奮してしまう。
絶対にばれてはいけないとわかっていても、どうしても意識してしまう。
そのくせ降りる駅が近づくと、ほっとするような、名残惜しいような不思議な気分に苛まれる。
結局、何も行動できないまま、俺は降車ボタンの前で小さく息をつくしかない。

 家に帰り着くと、脱ぎ散らかした服がそのままで、部屋の空気はいつも湿っぽい。
一応換気はするのに、ずっと洗われていない欲望だけが膨れ上がっていく。
そしてまた考える。
もし、どこかの誰かが、この溢れる性欲を慰めてくれたならどうなるだろう、と。
相手が若い女性なら、俺の存在そのものが鬱陶しいと思われるんじゃないか。
いや、もしかしたら俺を受け入れてくれる寛大な人がいるかもしれない。
そんな淡い希望が浮かんでは消え、空虚な妄想だけが身体の奥をざわつかせる。
その繰り返しが習慣のようになっている。

 夜中、ふと目を覚ますと、頭に浮かぶのは昼間に見かけた知らない女性の姿だ。
ショートパンツからすらりと伸びていた脚、立ち話をしていたときのあの背中のライン。
俺のため息とともに、生ぬるい空気が部屋を漂う。
声を押し殺しながら、下卑た想像をする自分に気づいては嫌悪感がこみ上げる。
だが、その嫌悪と欲望が背中合わせになっているのが自分でもわかるからこそ、さらに立ち止まれなくなる。
こんなことばかり考えている中年男に、誰が好意を抱いてくれるだろうか。
そんな自問をしては、また自分を責めるだけだ。
眠気なんてとっくに吹き飛んで、余計に脳が冴えわたる。

 自分でもわかっている。
こんな暗く醜い欲望の連鎖を、何かで断ち切らなければいけないと。
だけど、どうやって断ち切るのかもわからない。
金を払って一時的に満たされても、虚しさが消え去ることはないだろう。
むしろますます寂しさが肥大化して、次の妄想に取り憑かれるだけかもしれない。
本当は誰かにそばにいてほしいだけかもしれないのに、結局は心も身体も行き場を失っている。
こんなに情けない考え方しかできなくなった自分が、ひたすら嫌になる。
それでも欲望は形を変えながら、じわじわと胸を締め付ける。

 明日もきっと、通勤途中で若い女性を見かけて同じようなことを考えるだろう。
背徳感と焦燥感を抱えつつも、ひとつも変わることのできない情けない自分がいるだけだ。
どうせ何もしないくせに、脳内では都合のいい幻想をいくつも描いて、一時的な快感に浸ろうとする。
そして、そんな自分を嫌悪しながらもやめられない。
孤独がこんなに身体に染みついてしまった以上、もうまともには戻れないのかもしれない。
結局、自分が望んでいるものさえよくわからないまま、時間だけが過ぎていく。
それを嘆けば嘆くほど、意地の悪い欲望がまた新しい姿で湧いてくる。
今日も部屋の空気は重く湿っていて、俺はただ、次の夜明けを待つしかないのだ。

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