ダブルバインド理論を学んでいたら、母と私の養育と、息子からの癒やしにたどり着いた
私の頭のなかは『ダブルバインド理論』でいっぱいだ。頭の中に常に影をおとすものがある。自分には存在する価値があるのだろうか。という問いだ。価値とは何かを紐解いてみると、35歳にもなって抜け出すことのできない他者からの評価である。その他者とは、私の母親だ。
残念ながら、私は心の救いとしての家族には恵まれなかったと思う。恵まれないという事は、私の思考を理解できる家族が存在しなかったということだ。私の特技は、過去の経験から未来を予測することだ。私は人よりもエピソード記憶の力が優れているようで、その人が過去にぶつかった壁や、どのようにして解決したかなどの個人の人生エピソードの記憶力がとてもいい。その力を使って、その人が次に困ったときに、どう行動するべきか?どのように行動したら自滅しやすいかを推測することができる。しかし、私の家族はみんな体験主義者で、私が予測してもその結末を体験するまで信じようとしない。信じようとしないどころか、非難されるのが常だ。このような状態は私にとっての家族運のなさの由縁である。
私の母親はたぶん頭のいい人である。しかし、ADHD気質が強すぎて短期の記憶をとどめておく力が弱すぎる。ADHDの困りごとのほぼすべてを抱え、ADHDの特技をボランティアで発揮するタイプだ。防衛機制が非常に強く特に対、筆者(娘)に対するものは素晴らしい防衛力だ。
私はそんなに母を脅かす存在なんだろうか?まぁ、全く気質の異なった娘をもってしまったのだから脅威を感じるのも当然かも知れない。
母親が防衛機制を私に向けるとき、私はダブルバインドのトラウマにさらされる。私の母が掲げた娘への理想誘導、その誘導に母はダブルバインドをフル活用してきたし、今でもしている。ダブルバインドを使っている自覚は本人には全く無いだろう。人間は脳の中で常に整合性を照会している生き物だ。大切な相手(子ども)に対して、矛盾したメッセージを送り続ければ、子どもの心身だけでなく、自分の脳にも悪い影響を及ぼすであろうことは明らかである。この問題を解決するためには、ダブルバインドをやめたコミュニケーションの取り方を母親が学ぶ必要がある。母は今でも「兄弟の中であなたが一番」といいながら、兄弟の中で一番、私に自己防衛のための攻撃を向けてくるのである。私は大人なので、今現在、母の行動によるトラウマを抱えることはない。しかし、過去の孤独だった自分に引き戻される感覚は確実に味わうのだ。(※母を責めるつもりではありません。母はそのやり方しかしらないというだけのこと。)
一方で、私をその沼からひきあげてくれる存在もいる。それは私の息子だ。彼は私と同じかそれ以上に、未来を推測することが得意である。話の0.5程を説明したら、10以上を理解するような存在で、彼と会話し、彼が壁にぶつかったときに有益な方法を一緒に模索するとき、私の中の10歳のわたしが癒やされるのである。私と息子は全く違うところもたくさんある。違う人間だから当然なのだが、、、しかし、私が抱えた苦悩を彼が体験したとき、寄り添い一緒に解決していく過程が私を癒やし救ってくれるのである。
きっと私の母にとっても、私という存在は小さな母を癒やすものであったのであろう。しかし存在に依存してはならない。違いを認め、相手を敬い、年齢に関係なく存在を大切に対等に向き合っていきたいものだ。
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