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他人の失恋話が美しすぎる。
「noteって罪じゃん!(いい意味で。)」と、思うことがしばしばある。
ここ(note)にいると、世の中こんなに心が綺麗な人で溢れてるのか!最高だな!と錯覚して、るんるんで外に出たりするのだが。その途端、肩をぶつけられたり舌打ちされたりして「なぜに??」となる。
心優しい人が多く生息しているnoteは、やはり罪。
中でも犯罪級に驚いてしまうのが、美しい失恋話が多いことだ。
純文学の世界から転がってきちゃったんですか?その失恋話を糧にこの先は作家希望なんですか?と、思わず尋ねたくなってしまうような、等身大の、切なくて、甘くて、ほろ苦い話が、多いこと多いこと。
もちろん赤の他人に見せるネットの産物、という時点で、たとえどんな"本音"ベースの話であろうと、そこにはその人なりの"スパイス"や"デフォルメ"があることは重々理解しているのだけれど。
にしても、ちょっと美し過ぎやしませんか?ほんものの恋をしま鮮花?などと思ってしまう。
いや‥‥なんか、人様の失恋をそんな"エンタメ"的視点で楽しんでいることに申し訳なくなる気持ちはある。が、自身のこれまでの失恋経験と比較したときに、かたや「はーい!終わり~!西川兄貴でも爆音でかけましょか~!ダイスケ的にもオールオッケー!」となる自分と、プリプリの「M」やネバヤンの「お別れの歌」なんかが自然と流れるような皆さんの経験とで雲泥の差がありすぎて、それはもう1つの短編小説でも読んでいるくらいに思えてしまうわけなのだ。
微塵の嫌味も嘘もなく、本当にnoteに転がる失恋話が美しすぎて、シンプルに楽しませて(?)もらっている。ありがとう(?)
(今日も小松菜奈が可愛すぎる)
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ところで、これは何も失恋に限った話ではないが、自分のエピソードトークを面白く話せる人って、それだけでちょっとばかり人生が豊かに彩られていると思う。
話題のさくらももこ展をみても、結局のところ誰にでも起こり得る日常を、独自の悲劇的また喜劇的ふろしきでまるっと包み込んでいる面白さに、皆腹を抱えているわけだし。
わたしの最も身近なところでいえば、姉カップルが非常によく人生の面白さを体現してくれている。「約束の時間に遅刻しました」「自転車で転びました」「寒くなってきたから衣替えをしました」という、ありふれ過ぎた話なのに、これが、なぜか、おもしろい。これはその人の言葉選び、語り調、note的にいえば文体ありきの表現だから、今ここでわたしが再現できるものじゃないんだけど。人の人生を覗き込んで、思い出して笑えるって、その人はなんて素敵な人生を歩んでいるんだ、と思う。
隣の芝生は青く見える、ではなく、隣の芝生がまじで草。と思える、また思わせられる生き方を、わたしも歩んでいきたいな、という話。
(季節感ガン無視だけど、これ聴くとなんか元気になる)