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夏の終わりと秋の始まりを感じたら『グラビティフォールズ』を観よう。

決して大きな表舞台には姿を現さずとも、人知れず誰かの心を掴んで離さない「海外アニメ」の沼。

わたしは幼少期に観た『パワーパフガールズ』『フォスターズホーム』『フィニアスとファーブ』『ペンギンズ from マダガスカル』といった名作たちを皮切りに、傑作『アドベンチャータイム』『ミッドナイトゴスペル』『リックアンドモーティ』『シンプソンズ』『サウスパーク』などなどと、完全にその沼から引き返すことはできなくなっている。

わたしはこれで人格が形成されました。
わたしはこれで世の中の理不尽さを学びました。



中でも、比較的万人受けしそうで、且つこの愛を高らかに叫びたい名作がディズニー製作の『怪奇ゾーン グラビティフォールズ』だ。

最高過ぎるロゴ。


既に初回放送のあの日から12年もの月日が過ぎているということに驚きを隠せないが…実家のディズニーチャンネルで観た衝撃のシーズン1から、わたしは今なお色褪せないトキメキを本シリーズに感じている。

今年、カリフォルニアのディズニーランドパークで催された特別イベント「ディズニーチャンネルナイト」では、子どもも寝静まる夜遅く、大音量でこの『グラビティフォールズ』の音楽がパーク内のBGMを彩り、それに大人たちが歓喜しながら踊る様子が映し出された。

そう、12年経ってもなお『グラビティフォールズ』に歓喜しているファンはわたしだけではないのだ。

噂によれば今年のカリフォルニア ディズニーランドパークで開催されるハロウィンイベントには、同じ放送局を親に持つ『フィニアスとファーブ』の悪役(?)ドゥーフェンシュマーツ博士が登場するというではないか。
つまり、来る2024年のハロウィンシーズンを起点として、ディズニーチャンネルのスターたちが再び日の目を浴びるときも近い、とわたしは推察しているのだ。

そこで、夏の終わりと秋の始まりを感じる今日この頃、まったく今さらの話だが、ディズニーチャンネル史上最高傑作と言っても過言ではないアニメシリーズ『グラビティフォールズ』について語っておきたいと思う。

今日は映画ではなく、名作ディズニーカートゥーンの話をしよう。

"Only on Disney Channel☆"


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ペース配分が上手すぎる

先に述べておくと、『グラビティフォールズ』はシーズン1、シーズン2の全2部構成で、各シーズンはそれぞれ20話、21話の全41話で(今のところ)完結しているアニメシリーズだ。

物語は、謎の超常現象が頻発するオレゴン州の架空の田舎町「グラビティフォールズ」を舞台に、双子の姉弟が織りなすひと夏の冒険をシニカルなユーモアや家族愛・友情とともに描いたSFミステリーアドベンチャーである(Wiki様引用)

…のだが、その全容は"SF(すこしふしぎ)"というより"かなり意味不明"。"ミステリー"というより"やかましい"ドタバタ劇を見せられるだけで、正直最初の1話から半分くらいまでは、"海外アニメ"耐性がない人からすれば、理解に苦しむ時間でしかないだろう。

だが、本シリーズが各所で絶賛されるその所以は、ひとえに神がかり過ぎた「伏線」と「小ネタ」にある。
なんとなく場面が展開して、なんとなく変な人たちが奇声を発しているだけの30分、と、その"上辺"だけで作品の出来を判断するのは早急だ。「あれ?もしや…?」「ん?今のなに?」と思わせる絶妙なペース配分で、キャラクターの不可思議な言動や、映像が随所に盛り込まれていく。作画ミスかな、エラーかな、手抜きかな、きっとそんな"疑いの目"を皆さんも持つかもしれないが、このアニメを楽しむ秘訣は、そのすべての違和感をいちいち大切に、愛でながら観ていくことではないかと、わたしは感じている。

中でもわたし個人の見る目がガラッと変わったのは、ファンの間ではたびたび「神回!」と評されるシーズン1エピソード9「チャンスは一度きり?」の回だ。
このエピソードでは、SFお馴染みの"タイムトラベル"をテーマにしているのだが、この放送回から同シリーズは一気に考察の可能性が広がったと見て間違いない。これまでの8話と、これからの11話の見事な架け橋として制作された本エピソードは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も顔負けの一級品だ。

シーズン1も折返しに差し掛かる9話というタイミングで、それまでの物語の不可解さと、これからの展開の期待値が増すという完璧すぎるペース配分。
伏線回収による壮大な物語といえば、あの『ハリーポッター』シリーズや、『アベンジャーズ』シリーズも例外ではないが、『グラビティフォールズ』というたった30分ごとの短編集でここまでの充足感をもたらすのは、まさに神業である。

物語は終始「グラビティフォールズ」に住む"変人たち"を主軸としているが、その舞台を創り上げた製作者たちの天才っぷりには、誰も目を背けることができないだろう。

***

12歳の夏のリアル

一方で、このアニメがそれほどまでに高く評価されるのは単なる"考察ホイホイ"な作品だから、というだけではない。

"変な人たち"の話であることは間違いないが、何よりも温かいのだ。
ハートウォーミングが過ぎる物語ゆえに、多くのファンを獲得していると、わたしは思う。

物語の主人公は、ディッパーとメイベルという双子の12歳だ。
12歳という年齢設定がまた秀逸で、日本ではその線引きにあまり馴染みがないかもしれないが、彼らは"ティーンエイジャー"になる前の最後の夏、というタイミングなのである。


つまり、"大人"になるにはまだ早いが、それでも"子供時代"から"思春期"に差し掛かる一歩手前の少年少女を描いているわけで、そこに漂う時の流れや、過去と未来を繋ぐ重要な期間であるということを、作品全体がしっかりと描いてくれている。その温かさが、作品の重厚感を何倍にも増してくれているというわけだ。

これはジャパニーズアニメーションの最高傑作『千と千尋の神隠し』とも非常に似通った設定だろう。(なお本シリーズには『千と千尋の神隠し』オマージュのエピソードもある)
千尋の年齢も10歳前後の少女とされているらしいが、その年齢で、あの不思議な場所に辿り着くという展開も、何らか国境を超えて通じる、子供時代最後の変化、そのメタファーとしても捉えられるような気がしないだろうか。

だから、というわけではないが、なぜかこのアニメーションは「面白い」「不思議」「興味深い」という感情のほかに、「懐かしい」が常に入り混じるのだ。
わたしは物語の舞台であるオレゴン州に行ったことがないし、なんなら同じようなオカルトチックな不思議体験をしたこともない。…にも関わらず、2シーズン全体を通じて、どこか懐かしさを覚えるアニメなのである。こればかりは、メタ的に観たときの本作最大の謎と言っても過言ではない。
映し出される映像はみな、変なドラゴンのような生き物が喚いたり、ノームが虹のゲロを口から吐いたり、8ビットのゲームキャラクターが現実世界に飛び出してきたりと、全くもって支離滅裂な展開の連続なのに、その瞬間瞬間で何かを"懐古"するときが訪れる。

だがこれは、ある意味では物語全体を覆うひとつのメッセージ:現実逃避の表現としても見て取れる。
作品の根底に流れるオカルトアイテム、ティーンエイジャーまでのカウントダウン、そして事あるごとに掘り起こされる過去の事象、これらはすべて人の感情に強く訴えかけてくる要素であると同時に、どれもが「現実からの逃避」を象徴しているものでもある。

ディズニーは常に「夢」や「魔法」の存在を物語の鍵として取り入れるが、本シリーズにおいては比較的「人間の悪い側面/弱い側面」としてこの「現実逃避」が用いられる。幼少期の頃は「現実逃避」も、その人の「可能性」として高く評価されたかもしれないが、12歳の夏においては、必ずしもそうとは限らない。

その対極の表現として、ディッパーとメイベルを預かる大叔父さん(スタン)は、ディズニー製作とは思えない悪行(詐欺、脱獄、偽札作り、等々)を繰り広げる、ひどく現実的なキャラクターとして君臨しているわけだが、シリーズを追って明かされるその対比には、子供向けアニメとは思えない深みが満ち満ちている。

キャラクター造形も、絵のタッチも、色彩使いも、まったくの"リアルさ"がない、いわゆる"アニメーション"作品のそれであるが、シーズンを通して、微妙に変化を遂げる主人公たちの顔つきや言動、時の進み、些細な心の変化を絶対に逃さないのが『グラビティフォールズ』のすごいところである。

非常に僅かな変化だが、子供にとっては大きな進歩。その12歳の夏のリアルが儚く、切なく、美しく描写されることで、気付けばいい大人がすっかり物語にのめり込んでいるというわけなのだ。


***


すべてが繋がる全41話

とはいえ、やはり本作最大の魅力は圧倒的な「伏線」の散りばめ方とその「回収」だ。

全41話を観終わると、大きな大きな満足感とともに、一体この脚本はどこから書き始めたのだろう…と、そのストーリーテリングの偉大さに畏れおののくこと間違いない。

すべてが緻密に計算され、すべての事象に意味がある。あまりに良く出来過ぎた脚本であると、今でこそ多くのファンがその凄さを各所で叫んでいるが、シーズン1の第1話が放送されたとき、この面白みを一体誰が察知できたであろうか。

本記事ではそのネタバレを避けるため、この「伏線」の解説をするつもりはないが‥‥敢えてこの面白みを表現をするならば、誰しも子供時代に一度は遊んだことがあるであろう人気絵本『ミッケ!』のアニメーション化なんて言えるのではないかと、わたしは感じている。

『ミッケ!』はアメリカ発の視覚探索絵本であり、日本では1992年より小学館から刊行されている絵本シリーズだ。いわゆる『ウォーリーを探せ!』的なルールに則って、複雑怪奇で摩訶不思議な世界観のジオラマ写真の中から、指定のアイテムを"見つけていく"遊びであるわけだが、本シリーズの面白さは、1冊1冊に筋の通ったストーリーが敷かれていることはもちろん、それぞれの絵本を超えて共通する謎のマスコットのサイドストーリーがあったり、ダークな謎解き要素が組み込まれたりと、まさにその「伏線」によって、子どもはもちろん、一緒に読み聞かせている大人がのめり込んでしまうという仕掛けが施されている点にある。

『グラビティフォールズ』は、まさに動く『ミッケ!』と表現しても過言ではない。あまりにくだらないコメディ回もあれば、トラウマとされるホラー回もありつつ、物語の根幹にはひとつのブレない軸があり、その軸が2シーズンに渡って形成されていく、いや、『ミッケ!』のようにキーアイテムを頭の中で繋ぎ合わせて、形成していく過程は、他のアニメーションシリーズでは補えない豊かさが内在しているのだ。

つまり、この41話の楽しみ方は無限大にあるともいえる。
単純にキャラクターの可愛らしさや言動の可笑しさに着目するだけでも楽しいし、とにかく不可解な点を見つけ出していくのも堪らない。映像に表現される謎の英文を読み解くのも一興だし、アニメを飛び出して発行された副読本を読み込むのも最高だ。

アニメの中でディッパーが持っている本。
読み応え抜群です。


繋ぎ方は鑑賞者の自由。
何を見落として、何に着目したか、その見方ひとつで何倍にも何巡にも新たな面白さを発見できるアニメーションは、決してどこにでもあるものではない。

中には「たかだかアニメにそこまで熱くならないで。」「アニメくらい難しいこと言わずに単純に見させて。」と思う人もいるだろう。
だが、きっと一度でも『グラビティフォールズ』の面白さにハマった人なら分かるはず。『グラビティフォールズ』で得られる満足感は、『グラビティフォールズ』からしか得られないのだ。
幸い本シリーズは、その時代の背景やメタ演出を最小限に抑えた、いつ観ても楽しめるタイプのアニメーションである。
余計なことを忘れて、1日1エピソード30分、『グラビティフォールズ』の世界にどっぷりと浸かる日課があっても、わたしは素敵だと思ってしまう。

兎にも角にも、この謎解きゲームにハマってしまったら、それはもう『グラビティフォールズ』のファンなのである。
わたしはシーズン2の最終回にかけて、それまでのすべてが繋がる全41話が美しすぎるあまり、涙を流しながらその幕引きを観た記憶がある。

今ここで「は?」と思っている人は、ぜひ一度騙されたと思って観て欲しい。わたしのように涙を流す…とまではいかなくとも、きっと「グラビティフォールズ」の街に思いを馳せ、哀愁漂う「楽しかったなぁ」という感想を抱くはずである。


今日はディズニー製作の傑作海外アニメ『グラビティフォールズ』について取り上げてみた。

気になる方は、是非。

現実は幻想。宇宙はホログラム。金を買え~!



<追記>
なおこの記事を書いている途中、あまりにタイムリー過ぎるだろうと思うが…
制作元であるディズニーアニメーションの公式インスタグラムにて、なんの前触れもなく実に意味深な投稿がされた。。。

形式はディズニーキャラクターを描くためのHow to動画なのであるが、本動画のタイトルは、How 'NOT' to draw〜と表現され、シリーズの黒幕であるビル・サイファーが二次元を飛び出し、三次元化したところでプツリと動画が切れるという演出…

本当に、再び『グラビティフォールズ』の物語が動き出す日が近いというのだろうか‥‥。

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