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慢性疼痛をもつ家族と暮らして 5

(4からの続き)母が「脊髄硬膜損傷後の慢性疼痛」に苦しむようになって15年ほど。その間に知ったこと、考えたことなどを整理してみる。今回で書き納め。


<痛みを訴える人に必要なこと>

●大事なことその1。なんだかよくわからなくても、できることはなさそうでも、この人が「痛い」といっているかぎり痛いのだ、と思うこと。

 参考になったのは、映画『スリービルボード』。愛娘をレイプされたうえ火をつけて殺された母親の物語。難航する犯人逮捕にケチをつけ、警察を罵る母親の姿に、周囲の人は辟易し、事件が未解決であっても当たり前のようなふるまいをするようになる。圧倒的な孤独は、母親の心と態度をさらにこわばらせることとなる。すったもんだをへて、ずっと敵対していた若い警官と母親が同じ車に乗り込み、いっしょに犯人を殺しに行くところで映画は終わる。でも、その犯人はどうやら真犯人とは考えられないし、劇中の二人もそう思っているようだ。それでも二人は同じ方向を向く。なんというか、これは母親の痛みに警官が寄り添っていく儀式のようなシーンだった。このときはじめて母親がおだやかな表情をしたように見えて、私はちょっと救われた。


●大事なことその2。自分がやりたいやり方で助ける。
 
 『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』という本を読んでいて、ああ思いあたる節があると膝をうった。
 つい私は母に対して「何か買ってこようか?」とか「出かけたいところある?」とか聞いてしまう。たいていの場合、「あなたに悪いし…」とか「自分でできるし」という感じで母に断られてしまい、いろんな活動の機会をもてないことが多い。一方、私の姉は「買ってきたからお昼いっしょに食べよ」とか「これ体によさそうだから使ってみて」とか朗らかに言う。姉は別の場所に住んでおり、たまに顔が見られてうれしいという気持ちも加わっているのだと思うが、姉の提案はたいていうまくいく。彼女は、自分ができることを、うまくおしつける。やりたいことをできるときにする(忙しかったり他に関心が向いているときは全然実家に顔を出さないし)。相手のことを考える必要はないわけじゃないが、自分がこういうことをしてあげたいな、と思ったらそうすればいいのだろう。嫌なとき、不要なときは、さっくり断ってくるのだから。
 そういえば、子どもたちがお世話になった保育所では、「これ持っていって~」とたまに給食の残りをくれた。「持っていく?」とは聞かれなかった。毎度そう聞かれていたら、ずうずうしいかなとか、いつも助けられちゃってるなとか、恐縮していたかもしれない。

●痛みについて考えるとき参考にしてきた本

 本はいつも私に示唆をくれ、はげましてくれる。ありがとう!

『寡黙なる巨人』多田富雄/集英社文庫
『正岡子規・言葉と生きる』坪内稔典/岩波新書
『慢性疼痛―「こじれた痛み」の不思議』平木英人/ちくま新書
『ぼーっとしようよ養生法』田中美津/毎日新聞社
『椅子がこわい 私の腰痛放浪記』夏木静子/文藝春秋
『痛みと麻痺を生きる 脊髄損傷と痛み』脊損痛研究会/日本評論社
『人はなぜ病気になるのか 進化医学の視点』井村裕夫/岩波書店
『自分の「うつ」を治した精神科医の方法』宮島賢也/KAWADE夢新書
『患者の孤独 心の通う医師を求めて』柳澤桂子/草思社
『「痛み」の医学 こども編』熊谷普一郎ほか/ジャパンマシニスト社
『認められぬ病 現代医療への根源的問い』柳澤桂子/中公文庫
『痛み治療の人間学』永田勝太郎/朝日新聞出版
『その島のひとたちは、ひとの話をきかない 精神科医、「自殺希少地域」を行く』森川すいめい/青土社

(おわり)

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