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そこで終わってしまったら、悲しいよ

 本が読めない。それは仕方がない。鬱とかそういうものがやってくると、書籍を開くことが出来なくなる。電子ならなんとかいけるかな、なんて思ってはいけない。出来ないものは出来ない、諦めるしかない。僕は何をどこまで諦めることができるんだろうか、本を読むことを諦めることに成功した、それは成長なんだろうか。そんなわけはないだろうと思う、そうであると言い張りたい気もする。そういうときに、ふと「なぜか読める」文章に出会うことがあって、とてもうれしい。それはyoutubeに並んだ動画のサムネイル(あれ、たまにものすごくひどい色と形に見えることがあるよね?)を見るのにもうんざりして、noteさんや個人ブログなんかの記事をパラパラとめくっていく、本当にたまにだけどそういう文章と出会う。ささやかで、それでもたしかな喜び。今日はいちごのジャムを煮る、ただそれだけのはなし。

 レシピは特に珍しいものじゃない。それでもなんだかその文章はするすると読めて、何も残らず消えていく。僕が次にジャムを煮ることがあれば(あるだろうか、ないだろうな)自分のお気に入りレシピで作るだろう。彼女(彼かもしれない)のレシピを思い出したりはたぶん、しない。それでも不揃いで小さい安売りいちご、とても酸っぱくていい香りがするそれをとろりとしたジャムへと変化させる過程を心から楽しんでいる、感覚が配線でつないだみたいに流れこんでくる文字の連なり。文章が上手いわけじゃない、そもそも文章の巧拙に興味なんて持っていない、そういう人が書いた文章には、ときどきこういう奇跡が起きる。ずっとこれを再現する方法を探しているけれど、一度も上手くいったことがない。理由はなんとなく想像がつく、巧い文章を書こうと頑張っていたら、丁寧に火を調節したはずの鍋からとてもよくないものが焦げた匂いがしてくるんだ。ほら、この文章からも少しずつ匂ってきた。上手くやりたいと思ってるやつの話なんて、実のところ誰も聴きたくない、そういうところはあるよね。どうしたものかな。

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発達障害ライフハックのような実用文章ではなく、僕がライフワークとして書きたい散文、あるいは詩に寄っていくような文章を書いております。いろいろあって、「善い文章」を目指して書くようになりました。ご興味ありましたら是非。

玉雑記

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