発達障害者の未来について
「発達障害者の未来はこれからどうなっていくと思いますか?」
この仕事をするようになってから、どれだけこの質問に答えたかわからない。その度に僕は、「発達障害という枠ではなく、個人の環境や能力の個別性によって、大きく結果が分かれる社会になっていくだろう」と答えてきた。大体これだけでは意図が伝わらないので、こんな風に付け加える。
「発達障害者であれ健常者であれ、資本主義社会で生きる以上利益を出せる人間には価値があるわけです、そういう意味で単純作業が減り頭脳労働が増え、決まった場所で決まった時間に決まった作業をする仕事を機械が代替するようになって、発達障害者の生き残り方は増えてきていると思います」
「一方で、それは個人の持っている能力や適性、あるいは与えられた環境に依存する面が大きくなるということです。つまり、成功する発達障害者、障害が最早障害ではなくなる人間はこれからどんどん増えていくでしょう。そして、その逆も当然増える二極化が進むだろうと思います」
「これを希望のある話と受け取るべきか、あるいは絶望的な格差の予言と考えるか、語っている僕自身決めあぐねています。何しろ、障害を問題とせず成功し生活に問題のない発達障害者は、定義の上では健常者だからです」
障害と紐づく個人情報を誹謗とともにまき散らされ、精神身体ともに失調し、「いかに人生を終えるか」の準備に入った僕はまさしく「障害者」なのだけれど、書籍が好調に売れ、講演や執筆の依頼がさばききれないほど舞い込んだ頃の僕は、定義で言えば「障害者ではなかった」ことになる。この方向から考えると発達障害者の未来は「どこまでも暗い」という結論しか出て来ない。Webで本名を検索すると障害者であることが一瞬で特定できるうえに、大量の誹謗がセットでついてくるようになって、やはり僕が語っていた言葉は「絶望」だったのだろう、と確信を持った。持たずに済めばよかったのだけれど。
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