築地と文学2024 ~沢村貞子の献立と築地~ その1
築地市場の昼下がりが今よりものんびりしていた頃、私は仕事がはねた後、近所のご隠居や古参の番頭さんから昔語りを聞いた。その大半は、魚河岸ならではの明るい武勇伝だったが、戦時中の取り締まりや拘留の話は、声をひそめて語られるやや異色なジャンルであり、そのひとつに戦前築地警察に沢村貞子が拘留されていたという逸話もあった。
名脇役として今日でも評価の高い女優沢村貞子は1908(明治41年)浅草生まれ。父は狂言作家、兄弟は役者四代目澤村國太郎と加藤大介という演劇一家に育つ。 日本女子大在学中に新築地劇団に参加、前衛演劇活動により投獄された。新築地劇団は、今も築地に碑が残る現代演劇の祖、築地小劇場の後継で、沢村が逮捕された昭和7年ごろはプロレタリア演劇運動のただ中にあった。
「‥‥なぜ、つまらん強情を張るのかね。検事さんだって、ほんとうは、君を起訴したくなかったんだよ。たいしたこともしてないからね。君は、君の青春を捨ててしまうのかね。」(沢村貞子著書より)
築地警察の特高主任にそう説得されても女の意地を張り通した沢村は、築地警察での留置後に市ヶ谷刑務所に収監され一年もの拘留期間を経て保釈されるが、翌年再度逮捕され刑務所暮らしは2年近くに及んだ。
若き日の抵抗と挫折は、その後の人生、とりわけ“食”生活に大きな影響を与えた。
「料理には愛情が第一‥‥とつくづく私が知ったのは、刑務所暮らしのせいである。」(沢村貞子著書より)
沢村は “冷や飯”の味気なさを知り、
<もしここから出て、料理をするときがあったら、食べた人が本当に喜ぶように、おいしく料理をしよう。>
と心に誓う。
著書『私の台所』(1981年 暮しの手帖社)が刊行されたのは、御年73歳の時。波乱の二十代から約半世紀、女優として数えきれないほどの作品に出演する傍らで台所に立ち、こまごまと立ち働き続けた慈しみ深い暮らしの結実であった。
私がこの本を知ったのは、あるテレビ番組がきっかけである。(つづく)