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偽史琉球伝|『ゆし豆腐そば』
私はそろそろ『ゆし豆腐そば』についてお伝えしなければならないと思う。それが私の使命であり、義務であるためだ。そのためにこの場へとやってきたのだから。
『ゆし豆腐そば』をはなんたるかを伝える前に、まず「ゆし豆腐」と「そば」に付いて説明しなければならない。どういうものか、ということ自体は一言の説明で終えることはできるのだが、それでは私がここまでやってきた行動の意味がなくなり、今までの蓄積が水泡と帰す。そればかりは避けたいので、大人しく聞いてもらいたい。
「そば」とは、何を指しているのか。それはもちろん「沖縄そば」のことを指している。一般的にみる「蕎麦」というソバの実を原料とした麺類とは異なり、「沖縄そば」は小麦粉、食塩、かん水を原料としている。この原料類は所謂、中華麺と呼ばれる中国発症の麺類の一種と同じ原料であり、味も比べてみると大差がないものとなっている。ではなぜ、中華麺じみた「沖縄そば」を「そば」と呼ぶようになたのか。ではなぜ、沖縄そばは「そば」と呼ばれるようになったのか。
その説明を交えて歴史の解説と洒落込みたいところだが、生憎、私が説明しなくとも詳しい説明は世間ではごろごろと転がっている。詳細はそれら解説に譲るとして、どうしてもすぐさま詳細を知りたいという方がいれば、Wikipediaあたりをむさぼり読めばいいと思う。そこに真実が書いてるとは限らないが。
現代での「そば」の扱いと言えば、冠に沖縄と固有名詞がつくように、沖縄の人間に広く親しまれて愛されている存在となっている。そのため、そばに関して一家言持っていそうな訳知り顔で蕎麦を食んでいるオヤジや、そばのことがあまりにも好きすぎて提供されたそばから麺を一本掬い、懐にしまったノギスを使って厚さ・太さを図って恍惚を覚えるオッサン、究極の麺を拵えるためにガジュマルの木を延々と栽培し伐採するオバハンなどが当たり前のように彷徨いているのだ。
時を越えての「そば」に対する愛情は留まることを知らず、いつしか、どうすれば美味いそばが作れるのかという、愛情を探究心へと転嫁したのだ。出汁はなにを使えば美味くなるのか、麺になにを加えれば食感が良くなるのか、具にはなにを添えたら美味しくなるのか等々。人々はそばのために自身の腕を振るい、客を喜ばせるようなものへと変化させた。
その結果として、沖縄そばは今のような形態へと変化していった。出汁は養豚とカツオ漁が盛んなので豚骨とカツオを使い、麺は保存のために塗る油がよく絡むようにとちぢれ麺を採用、具は泡盛と醤油などでよく煮込んだ皮付きの豚バラ肉など。これが現代の「そば」であり、黄金律と呼ばれる形態の沖縄そばである。
次に、「ゆし豆腐」いついてだが、これも説明するまでもない。沖縄の豆腐のことである。と言ってしまえば、すぐに説明を終えることができるのだが、こればっかりは詳細を語らなければならない。
まず沖縄という土地は、豆腐作りに適していない。というのには少し誤謬がある、これを詳しく言い換えると、「沖縄という土地は、日本本土で見られるような絹ごし豆腐・木綿豆腐を作る環境には適していない」ということになる。
この環境というものはなにか。沖縄は昔より養豚が盛んな地域であり、豚を育てるためには大量のおからが必要になっていた。そのおからを捻出するために、生呉をおからと豆乳に分離することができる「生しぼり」という製法を選択したのだ。この製法のおかげで、豚への飼料が安定して供給することができたという経緯がある。環境というのは、気候といった自然環境のことではなく、人の暮らしを背景とした生活環境のことを指す。
そして、この「生しぼり」という製法は、日本本土の豆腐製法「煮立て絞り」とは別の製法であるがために、沖縄の豆腐は独自の発展を辿ることになる。つまり、島豆腐の誕生である。
この島豆腐であるが、様々な経緯を辿った末に完成する食べ物であるのだが、それの詳細はインターネットで検索されたし。ここでは、島豆腐になる前にゆし豆腐になるという経緯だけを覚えていればよろしい。
して、肝心のゆし豆腐であるが、これがどういった形態なのかと言うと、バラバラの豆腐なのだ。なんて雑な説明だろうと思うかもしれないが、バラバラの豆腐、これこそがゆし豆腐なのだ。
先にも書いたが、島豆腐になるにはゆし豆腐という過程を介する。要するに、ゆし豆腐を押し固めたものが島豆腐となり、島豆腐になる前の豆腐がゆし豆腐なのだ。形態は全然違うのだが、おぼろ豆腐あたりが近いものと思える。
肝心のゆし豆腐の味だが、ずっしりとした肉厚で味の詰まった島豆腐の食感とは違って、ほろほろとした舌触りまろやかで優しい味となっている。
食べ方を紹介する前に、ゆし豆腐の販売方法をお伝えしておきたい。ゆし豆腐は、一般的に見る豆腐のように、「プラのパッケージにはつはつと水を張ってそれに封をする」というものではなく、「びろびろの袋に製法途中の茹で汁ともにぶち込んで販売する」という形式をとっている。そのため、茹で汁とともに鍋へ放り込んで塩だけかけて汁物として食べたり、カツオ出汁と合わせて食べるなどしているのだ。
では、これら「ゆし豆腐」と「そば」を合わせればどうなるのか。
先にも書いたが、沖縄人の「そば」に対する探究心はとてつもないもので、豚の骨付き肋肉を甘辛く煮たものを乗せたり、汁を塩ベースの豚骨出汁に変更したり、麺を木綿のごとく平べったくしたりなど、手段の尽くす限りをしていた。その過程の中で、一般的な食べ物である「ゆし豆腐」と、沖縄人に深く愛されている「そば」が出会うのは必然的と言っても出し使えないだろう。
しかし、ここで問題が生じた。なにか特別な手を加えることなく美味しく食べることができる「ゆし豆腐」。出汁・麺・具の黄金律が決まっている「そば」。一つの形態として決まっている食べ物を、わざわざ崩して統合させることは容易ではなかったのだ。
黄金律が決まっている「そば」の中に、ゆし豆腐をただただぶち込めば味の薄い微妙なものが出来上がるし、かと言って、味が薄くならないよう主張を強くしたそばの中に「ゆし豆腐」を入れてしまえば、豆腐の存在感は皆無となり、ただ味の強い蕎麦だけがそこには残る。つまり、「ゆし豆腐」と「そば」を融合させることは、かなり技術のいる料理である事が判明したのだ。
沖縄人たちはかなり苦心した。時には、ゆし豆腐の存在を完全に無視するが如く強い出汁を使って豆腐を添え物だけにしてみたり、ゆし豆腐の中に最低限の要素だけが残ったそばを投入してみたり、様々な製法が編み出されていき、生き残ったり消えていったりした。「そば」の要素が強ければゆし豆腐の存在がなくなり、「ゆし豆腐」の要素が強ければそばの必要性を感じなくなる。どちらも活かすのであれば、非常に繊細なバランスを要するという難しい料理であることを証明したのだ。
現在の「ゆし豆腐そば」は、そのいった過程を踏まえた上で成り立っている。とある店は名店となり、とある店は名を知られることなく消え去っていく。多くの苦心と発見により成立した「ゆし豆腐そば」は、職人たちから絞り出された苦労の露として今日も提供されている。
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