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宝石とSF|『宝石の国』

 『宝石の国』が12巻分の無料公開を行っているので、記憶がおぼろげになっているあたり(シンシャってだれだっけあたり)から読み始めた。一気見読みという形を取ったので、詳細な要素はすくい上げることはできていないが、それでも読んだ後は誰かと話をしたくなる魅力溢れる作品であることは間違いない。
 初めは、仏教をテーマにしたファンタジー作品程度に読んでいたのだが、ところがどっこい。話が進むごとに、仏教をテーマにしたSF作品として物語を転換するものだからかなり驚いた。回を増すごとに貴志 祐作の『新世界より』の展開を思い出した。
 フォスフォフィライトが月に行くと、地上とは全く違う月の世界に予想に打ちのめされる場面は見どころだ。月人たちが科学を駆使して自身の住む世界である月を発展させているためだ。「機械」という言葉を知らないフォスフォフィライトが象徴するように、地上とは比べ物にならない程に近代的な生活をしている。食べ物もあれば、複雑な構造をした住居もあり、なにより都市がある。月と比べると地上の生活は、まるで原始的。ミスター・野蛮人 バベッジであるジョンのように。そこから、物語は仏教というテーマを損なうこと無く、ファンタジー作品からSF作品にシフトしていく様は、読んでいてゾクゾクした。
 そもそも、SF作品と宗教の関わりは深いもの。オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』は、依存物質ソーマによってキリスト教を廃した世界を作り上げているし、先の『新世界より』でも、真実を露呈させないがために宗教を模した力に頼っている。他にも上げれば、枚挙に暇がないだろう。それほどに、SF作品と宗教は密接な関係を築き上げている。
 なによりも面白いなと思った点は、月人化という月人でない宝石たちを月人にするための技術。宝石から月人になることにより、戦いの連鎖や自身の破損という苦難から逃れることができ、苦しみと悲しみのない世界で自身が求めている楽しいことや続けたいことをやって楽をして暮らすことができる。一見、ユートピアのように見える月人の世界・月人化は、見方を変えれば、科学技術によって硬度や自身の輝きという宝石が持つ個性を取り除き、月人という苦難を感じることのない存在になる画一化を目指すディストピアにも見えるようで…。というのは、考えすぎだろうか。
 『宝石の国』の結末は、まだ読んでいない。これからどう風呂敷をたたむのか。神となり「骨・肉・魂」の全てを無に帰したフォスフォフィライトの結末はどうなるものか。中途半端に13巻だけ買うのもか…と戸惑っている場合だろうか。

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