『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』を読んで花弁
百合というジャンルがあるらしい。ジャンル?いや、関係性だろうか。このジャンルという言葉を使う際にははっきりしない微妙さがある。なんだろう、ジャンルというのは。区分か?なぜ、区分しなければならないのだという疑問は横に置き、百合という関係性がある。
この百合というのは、女性同士がいじらしい関係性によって成立するみたいなのだが、僕にはいまいち理解が出来ていなかった。なので、専門家に疑問を投げかけることにしたのだが、その疑問というのが、百合というのは女性同士が口を吸ったり、乳をいらったりするもんなんですか、と、どう考えても無作法極まりない疑問であった。
この無作法に対して専門家はもちろんのごとく激昂。専門家は僕の顔面にすばやく手のひらをかざしたかと思うと、人差し指と薬指を僕の両目に食い込ませた。咄嗟に起こった焼け付くような痛みに藻掻き身をかがめていると、専門家はそぞろ取り出した木刀を袈裟斬りの形で僕の脳天に殴打。強烈な衝撃が僕の頭を遅い、顔面をそのまま地面に激突させる形で気を失うことになったのだ。
僕が気を失っている間も、専門家は怒りを鎮めることが出来なかったのか、「え、あなたはその眼で何を見てきたっていうんですか。え。その曇りなく眼は何を見定めたと言うんですか。早く答えなさい」と、強烈に詰問していたらしい。そのお陰で僕は、2.0あった視力はガタ落ちしメガネを掛けなければならなくなったし、脳は左右に割れた状態で過ごさなければならなくなった。トホホ。
という無駄話は縦に置き、百合の話である。この女性同士の関係性を表す言葉として「百合」を使うのはとても素晴らしいなと思う。百合というのはもちろんの如く、花の百合のことを指す。百合の花を観察したらわかるのだが、花弁は白く真っ白で儚げな感じがある。雌しべと雄しべを含んだ花柱の赤もアクセントとなり、儚げな花弁とは対象的に幹が太い力強いのも印象に残る。この儚くも美しい花を、女性同士の関係性に例えた人物はものすごく詩的な感性を有していたのだなと思う。
して、タイトルにもある『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』というマンガを読んだのが、これがものすごく面白かった。視力を奪われ脳天を真っ二つにされた僕でも、多分これが百合というものなんだろうなと、直感的に理解できる仕上がりになっており、どう続くのだろうかと楽しく頁をめくっていった。一巻を読み終わり、少しの違和感に気がついた。主人公の名前がぼたんなのだ。
ぼたん、ぼたんとはきっと花の牡丹を指しているのだろう。白く儚げな百合の花とは対象的に、淡い桃色の花弁や強烈に明るい朱色の花弁を蓄えた華やかな牡丹。対象的な二つの花が紙面上で交差していき物語に奥行きを与えていく。それゆえに華やかな牡丹。もしくは、Button。物語に展開を与えるためのボタン。または、関係性を繋ぎ止めるためのボタン。ぼたん、牡丹、Button、ボタン。
なんだか駄洒落じみてきたので、さっさと二巻を手に取ろうかと思う。