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ショートショート1「やろうとする男」

男は、一人考えている。
自室のデスクに向かい、懸命に考えている。
男はやろうとしていた。
机の上は、乱雑に、秩序なく置かれた小説、本雑誌で散らかっていた。
朝だというのに、厚い雲に覆われた空は、鬱々とした気分を湧き上がらせてくる。外明かりでは十分に明るくない部屋を、頼りない、今は珍しい小さい小さい青白い豆電球が、力の限り部屋を明るくしようと健気にその仕事を務めている。が、部屋は暗い。
他者が見ればひと目でわかる。あー、この机の上では、長い間作業は行われてこなかったのだろう。
そんな中で、男はやろうとしていた。

「よし、やろう。」
そう呟きながら、男は自らに気合を入れている。
両頬を勢いよく、パンっ、と叩く。そんなことはしない。が、フッ、と勢いよく息を吐き、全身の血の巡りを感じている。筋肉に、これからやるのだ。と、合図を送る。

男はやろうとしている。
肘掛けなどない、安心、安定感などとは無縁な、セール椅子から、腰を上げた。

「よしやるぞ。」

「コーヒーだ。」
そう呟くと、男はふらふらと台所に向かう。
理路整然とした、綺麗で何の汚れもないキッチン。他人が見れば、先ほどの小汚いデスクを思い浮かべ、この空間だけは別世界にあるのではないか、そう感じてもおかしくはないはずだ。
男は鍋に水を入れ、火にかける。戸棚から紙コップを一つ、その横にあるスティック状のインスタントコーヒーを取り出す。どちらも、表面は薄く灰色がかっている。

「そういえば、今日の天気。」
ふと思い立ったように、男はそう呟いた。
紙コップを片手に持ち、よそよそとデスクに戻ってくる。
その足取りは、宙に浮いているほど軽いように見え、またその裏では数々の筋が力強く、懸命に体を支えているようにも見える。
小説などが高く積まれているデスク。いくつかの山があり、その各々の高さが自らの高さを誇らしげに自慢しているような気がする。そして、山々の間にひっそりと、埃をかぶった小さなラップトップ。威風堂々とした周りの山々に恐れ、常に恐縮している様子で、気配を殺すようにそこにあった。
男は表面の汚れなど気にする素ぶりなど見せず、スゥーと、画面を開き、電源を入れる。
「曇りのち、雨。」確認し、天井を見上げる。髪をかき上げ、意味もなく髪質を感じている。
そして、腰をひねり横をチラチラと見ながら、つられて一緒に回転する椅子を楽しんでいるように見える。

「机が汚い。」
回転が止まり、机と正対すると、そんな風に呟いた。
次の瞬間、男は誇らしげにそびえ立つ、山屋も憧れるような立派な山々を、躊躇なく手に取り、上から切り取っていくように、次々と壊しそして平らにしていく。
山を取り除かれ、整地されたその姿は、なぜか寂しさや物惜しい雰囲気を漂わしている。
そして、その真ん中には、かつてあれほどまでに粛々と気配を消し、その場に馴染む努力を惜しまなかったあのラップトップが、堂々と君臨していた。銀色のボディに、ツヤ感のある表面、緻密に設計され四角に整えられたその見た目は、存在感を否応なしに発揮している。

「明かりが暗いな。」
そう呟いた男は、スッと立ち上がり、電球の電源スイッチに手を伸ばした。
パチっ。先ほどまで持てる力を常に発揮しようと頑張っていた電球の明かりが消える。
男は、豆電球に手を伸ばし、キュッキュッ、と手で電球を回す。
そして、シャッ、と携帯のカメラで、先ほどの輝きは失せ無気力に横たわっている頑張り屋の写真を、一枚撮った。男はまた、無表情で髪をかき上げ、天井を一瞥する。

「よしやるぞ。」

「カフェインが全身に行き届いてきた。脳がスッキリしている。」

「これだけ綺麗にすれば、スペースを十分に使える。作業を効率よく進められるはずだ。」

「もう少し明るい電球にしよう。朝作業に集中できる、清々しい青空を、思わせくれるような明かりのものに。」

「やるぞ。」

「気持ちが高揚している。全身に力がみなぎっている。」


「ここに必要な書類を置いて、あっちには携帯と連絡で必要なもの。その角には飲み物で、あそこには…」

「いや、いっそうのことLEDライトに買い替えても良いな。うん。その方が今っぽさがある。」

「よし、やろう。」

「ん、足が震えている。寒気みたいなものがあるな。カフェイン取りすぎたか。」

「こんな綺麗な机にしたのに、また散らかすなんて、何か惜しいな。」

「待てよ、LEDの方が良いのだろう。しかし豆電球にもどこか趣を感じる。あえてこのままにしても、また一興なのではないか。」



男が窓の外を、ちらりと見る。先ほど見た時より雲が厚く空を覆っている。しかし、太陽は空高く昇って行ったのだろう、雲は少し黄色味を帯び、薄暗さの中に不気味さも持ち合わせている気がする。

「もう昼か。」

男が携帯の画面で時間を確認する。
1:49、薄暗いへやに液晶の光が、ぼわぁと浮かび上がる。

「昼飯だ。」

男はそう呟くと、また一言言った。

「明日、やろう」

疲れたように、そう呟いた男は、おもむろに立ち上がると、キッチンの方へ消え去って行った。

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