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フジテレビCM撤退が映す、現代日本の「道徳裁判」

フジテレビの放送から企業CMが消えました。
大規模災害でもないのに、民法で企業CMが流れなくなるような日が来るとは夢にも思っていませんでした。
東日本大震災の発生時、「ポポポポ〜ン」で話題となった「あいさつの魔法」が流れ続けたあの日々を思い出すと共に、政府の出稿が当面見合わせになるなど、事態の深刻化に歯止めがかからない現実を見ると、「令和の倫理観」について考える時代が来たと感じます。


「罪を憎んで人を憎まず」だった平成

平成は、番組の打ち切りで責任をとったとみなされる時代でした。

・関西テレビの制作で、フジテレビ系列で2007年1月7日に放送された『発掘! あるある大事典II』のねつ造

・東海テレビ(フジテレビ系列)で2011年8月4日に放送された『ぴーかんテレビ』内で「怪しいお米セシウムさん」などと不適切なテロップが表示された問題

・フジテレビ系列で2013年10月20日放送された『ほこ×たて』の不適切演出
など、これらの問題は全て番組の打ち切りで幕引きとなりました。

また、日本PTA全国協議会が2011年まで行っていた、「テレビ番組に関する小中学生と親の意識調査」では、「子どもに見せたくない番組」として、『ロンドンハーツ』、『めちゃ×2イケてるッ!』、『志村けんのバカ殿様』、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』などの番組が取り上げられていましたが、テレビ局自体の放送責任が問われる事はありませんでした。

価値観が変動した令和

日本は自然災害の多い国ですが、その分、危機から立ち直ってきた回数が多い国とも言えます。
地震だけではなく、台風による暴風・水害・洪水、火山の噴火による住民非難など、自然災害に対してある程度のノウハウがあります。
小学校児童ですら、「地震が来たら速やかに机の下に隠れる」事ができるのはその最たるものです。

しかし、2020年から2023年5月まで長期化した災害、
「新型コロナウイルスのパンデミック」については、全くの未知の世界でした。
店頭から不織布マスクが無くなり、「アベノマスク」が政府から配布され、ニュースでは毎日のように手洗い・アルコール除菌が奨励され、
かと思えば「空間除菌」は景品表示法違反(優良誤認)だと消費者庁がクレベリンを問題視し、大幸薬品株式会社に6億744万円の課徴金納付命令が出るなど、何を信じられるのかが分からなくなった時期でした。

この当時の社会情勢に、今回のフジテレビの炎上につながるいくつもの要素と経緯があったと感じています。

2020年・コロナ禍の社会変化

DX(デジタルトランスフォーメーション)の急進

まず、国を挙げてDX化が進められました。
社会人は可能な限りのリモートワークへの切り替えが国や地方自治体から要請され、大学だけではなく、小中高校でも1人1台端末でのリモート授業が当たり前になりました。

後1年で定年退職なのに!などと役職者がゴネることもできず、社会人ならほぼほぼZoomが使えるようになり、Zoomを使用できる事が社会人として必要不可欠なスキルになりました。
一部のマナー講師は、チャンスとばかりにテレワークマナーの本を出版し、様々な騒動が起こることにもなりました。

この時、残念ながらデジタルリテラシーは飛躍したのですが、情報モラルやデジタル・シティズンシップについては軽視されてしまいました。

法律よりも道徳観が重要視されるように

緊急事態宣言時の合言葉は、「密集・密接・密閉」を避け、「ソーシャルディスタンスを保つ」事と、「不要不急の外出を控える」事でした。

そんな中、緊急事態宣言中に、芸能人の行動が槍玉に上がるようになります。
まず、石田純一さんが緊急事態宣言中に沖縄に行ってコロナ感染したことが問題視され、バッシングを浴びました。

次に、NEWSの手越祐也さんが、緊急事態宣言中に外出し飲み会へ参加したとして活動自粛する事になりました。

この2人は決して違法行為をした訳ではありません。
しかし、「みんなが自粛をしている時に、自分さえよければそれでいいのか!?」といった道徳観の暴走が始まりました。
「自粛警察」が問題視されはじめたのも、この延長線上にあると考えています。

これには、日本式の小学校教育の特徴である、「同調圧力的な教育」が大きな要因となっているのではないかと思うのです‥
その点については、もしよろしければ、下記の過去記事をご覧いただければと思います。

2021年・東京オリンピックで、過去の言動が問題視される時代に

東京オリンピックは開催前から問題視されていました。
「修学旅行は中止になるのに、東京オリンピックはなぜできるのか?」と、あちこちから不満の声が上がりました。

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は、問題視される要因を徹底的に排除することを最優先に行動しました。

2021年7月19日、開会式の作曲担当だった小山田圭吾さんは、過去の雑誌インタビューが問題となり、辞任に追い込まれました。
同時に、Eテレの「デザインあ」が放送休止になりました。
小山田圭吾さんが楽曲担当をしていたためです。

2021年7月22日、開閉会式の演出を担当する小林賢太郎さんは、過去のコント作品の一部が問題視され、解任されました。

2021年7月29日、竹中直人さんが東京五輪開会式の前日(2021年7月22日)に、開会式への出演を辞退したことが分かりました。
1985年の出演作品に問題があったためです。

この時、本来なら、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の任命責任が問われる必要もあるかと思うのですが、そのような事は一切ありませんでした。

2023年~2024年・ジャニーズ事務所の解体で、テレビ局に不信感が持たれる時代に

テレビ放送の歴史上、最大級の闇と言っても過言ではない、ジャニーズ事務所の性加害問題。
2023年3月に世界に向けて放送された、イギリスBBCのドキュメンタリーがきっかけとなり、ジャニーズ事務所はあっけなく解体されました。

新社長の東山紀之氏は、記者会見でジャニー喜多川氏について「性加害は鬼畜の所業」と吐き捨てました。

テレビ番組は一変しました。
音楽番組でタレント達が面白おかしく、ジャニー喜多川氏の言動を「YOU、◯◯しちゃいなよ!!」と言う事はできなくなりました。

ジャニーの名前のつく所属アーティストは、改名を余儀なくされました。

しかし・・この事をほとんどの人は「やっぱりか」と受け止めたように思います。
週刊誌はずっと前から疑惑を報道していましたし、被害者達は1980年代から暴露本を出していました。

NHKですら『ザ少年倶楽部』でジャニーズ事務所と密接な関係に有ることは誰でも知っています。
そしてついには、NHKの内紛のような『NHKスペシャル』が放送されました。

今思えば、この時に民衆の「道徳観」がマスメディアに対して牙を剥くきっかけになったのではないかと考えています。

2025年・「法律ではなく道徳が善悪を裁く時代」の到来

新年早々の元日に予兆はありました。
爆笑問題の太田さんは、フジテレビのお笑い番組で「Aプロデューサーって誰?」「日枝出てこい」などと、ほぼ暴言のような発言をしましたが、批判よりも称賛が多いような状況をSNSは作りあげてしまいました。

中居正広さんは、公式サイト内で
「今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました」
と書いてしまった事がきっかけで、騒動の火に油を注ぐ事になってしまいました。

フジテレビは、1回目の記者会見の動画撮影を許さなかった事や、
「第三者は入れるけど、第三者にはお飾りでいて欲しい」と受け取られかねない第三者委員会を設置しようとし、火に油を注ぎました。

2回目の記者会見では、異常とも言える10時間23分の会見の中で、「一部記者の態度」が炎上しました。

記者会見の翌日の報道ステーション内で、元NHKの政治部記者でもある、メインキャスターの大越健介氏は次のように私見を述べました。

「自説を長々と述べたり、野次を飛ばしたり、感情的な発言を繰り返す人がいたのは事実で、最後は会見の場が消耗戦のようになってしまったのは残念でした」

「記者会見も取材の場である以上、例え批判の対象であっても、取材相手には一定のリスペクトを払うのが、取材者としてのマナーだと私は思います」

『報ステ』大越健介キャスター、フジ会見で一部記者を批判「自説長々、野次、感情的発言」「取材相手にリスペクトを」 著者:ENCOUNT編集部

マスメディアに対する批判が、CM企業を動かし、政府を動かし始めました。
とうとう法律ではなく、道徳が物事を裁く時代になってしまいました。
韓国では、大統領経験者が、法を遡及して適用される事で裁かれる事がしばしばあります。
法治国家では考えられないことですし、日本ではそのような事が起きるとは考えにくい話です。

ただ、日本では、「道徳を遡及して適用する事で、民意で裁こうとする時代が来た」という気がしてなりません。

これからの道徳

これからの道徳がどの様になっていくのか、さっぱり分かりません。

ただ1つ言えることが有るとするならば、嫌な思いをした人たちが、道徳と、自分自身の経験を語れる時代が来たという事です。

Xでは、「#私が退職した本当の理由」のハッシュタグが広がりつつあります。
このハッシュタグを検索していると、少なくとも今までの日本が、いかに道徳を軽視していたかを、まざまざと見せつけられます。

とりあえず、動画を流しておくだけで済む、eラーニングの名ばかりセクハラ防止研修が、名ばかりパワハラ防止研修が、いかに形式上の物で無駄だったのか。

「うちの部長さんは、若い女の子が踊ると喜ぶから、女性の新入社員は歓迎会の余興でAKB48のヘビーローテーションを踊れるように練習すること。」

「新入社員は、歓迎会で吐くまで酒を飲む事が義務であり洗礼。」

こういった、どこか国の「喜び組」を彷彿とさせる過去の業務指示が、
アルコールハラスメントという名で逃れようとしている
「強要罪、傷害罪、傷害現場助勢罪」が、
法律だけではなく道徳で裁かれてしまう時代が、今、到来しました。

道徳を重視することは大事なことですが、正義の名のもとに暴走しないためには何が必要なのでしょうか。
「#私が退職した本当の理由」のハッシュタグには、企業名が書かれていない投稿が大半です。
ここに、日本人らしさというのか、良心のような物を感じずにはいられません。

そもそも、法律と道徳の境界線はどこにあるのでしょうか?

この1年は、それぞれの個人が、日本社会の道徳について考える、そんな時代になればいいなと思います。

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