読み返したいと思う本に出会うのははっきりと稀なこと
東京へ向かう新幹線の中で、どうやって過ごしていよう。
いつも1〜2冊持ち歩いてる本は置いてきた。常に荷物過多の人間ではあるが、旅行の時はさすがに。
とはいえ漫然とSNSをスクロールして時間を潰すのはちょっとな。と、電子図書館にアクセスする。
電子図書館とは興味深いシステムだ。電子書籍が無料で借りられる。画面上で「借りる」のボタンを押せばスマホでそのまま読める。
でも、他の誰かがその本を読んでいると借りられないのだ。そこは紙の本ときちんと同じ仕組みなのが面白い。
ケストナーの「飛ぶ教室」があった。名作が借りられるのは助かる。「借りる」ボタンを押せば、電子上の本棚に入る。
「飛ぶ教室」は、これまでに二〜三回読んだはず。前回読んでから、何年ぶりだろう。
読み始めてまもなく「第二のまえがき」とまるで百貨店のM2Fみたいな不思議な立ち位置の箇所に、ヨナタン・トロッツの名前が初めて出てきた時。反射的に頭の中に灯る明かりがあった。
その光源を探るよりも先に、無意識に目が字列を追う。程なく、彼の深い悲しみについて綴られる文章に行き当たって、しんとした気持ちになる。
そうか、と思った。思い出した。
私はヨナタン、通称ヨーニーという彼のある台詞がとても好きだった。
そのために「飛ぶ教室」を名作だと胸に刻んでいたのだけれど、そもそもその台詞は、彼のこの悲しみが言わせたものなのだと。
好きな本の中に、同じくらい大切な箇所なのに、覚えている箇所と忘れている箇所がある。
読み返すことでやっとそれらは両方発見されるけれど、二度以上読みたいと思う本に出会えることははっきりと稀なこと。滅多にない幸せだ。
ヨーニーのことをぼんやりと考えるうちにうとうとして、あっという間に東京に着いた。