ちゃぶ台をひっくりかえす程の価値観!
1⃣ 個人基準での普通
医療や福祉・教育を学び直すために大学の3年時に編入した。
大学には海外の大学や大学院での教育を受けていた先生方が多い。
特に、同調圧力の中で「コテコテな日本の教育」を受けてきた私にはとても興味深く関心のある授業だった。
通信(教育)の大学だが、どうしても対面授業(スクーリング)での単位取得が必須なものも中にはある。
スクーリングには、ソーシャルワークの授業の一環として、地域福祉の内容にリンクする講座がある。
授業が展開されるなかで
「地域課題を達成させるためにぶつかる壁」
というということが話題にあがった。
元をただせば、地域住民も1人ひとりがそれぞれ受けてきた教育や価値観
住んできた地域性などによって様々な影響を受けてきている。
そのため、それぞれの価値観を持つ人々が集団となって何かを達成させることは容易ではない。
単刀直入に言うのならば
1人ひとりがもつ価値観を『個人基準での普通』
と思っていて
人と人が出会うことで
それぞれの価値観の相違があり葛藤が生まれる。
2⃣ 価値観の相違による葛藤~白と黒の分断~
そこで、それぞれの違いを
あの月9ドラマに出演されていた俳優Fさんの決めぜりふではないが
「実におもしろい」
と楽しんで、興味を持つか?
「ありえない」
とか
日曜日の夕方にお茶の間で
おなじみのアニメに出てくるオヤジさんのように
「けしからん」
とか
「バカもん!」
と口に出して言ってしまうか。
物事の多くは
口に出して怒りとして発したことが炎上し
さらに物事を白か黒かに決め分断する
ということがお約束パターンだ。
そうならないためのは、どうするのか?
アンガーマネージメントでも言われているが
各自が何処までが自分の中でが
「許容範囲」なのか
(怒ることに値することなのか、そうでないのか)
4⃣ 「犬は家族か?」それとも「食べ物か」
~それぞれのお国による文化や価値観の相違~
許容の伸びしろ(寛容)が広ければ広いほど
楽に物事を捉え衝突を避けられるという訳だ。
そのような内容を、先生はこんな例えで話されていた。
先生自身が学生時代に海外の留学先の学生寮でルームシェアをされていた時の話だった。
ある時、イギリス人の学生が大事にかわいがっていた犬が突然姿を消した。
部屋では朝からそのことが話題で持ちきりになった。
すると、そこへ中国人学生がやってきて
まるで、いつもと変わらず、何事もなかったのように
「犬なら、食べたよ!」
と言い放った。
少し説明するとこうだ。
断っておくが決して、悪い意味ではない。
あくまでも事例としてのここに挙げている。
イギリス人では、犬は
「家族の一員」
という、お国柄の価値観を持つ。
一方、中国は食文化の歴史が長いこともあり
「犬」=「食べられるもの」
という文化や価値観を持つ。
確かに、タレントで台湾出身のアグネスチャン氏がデビューしたての頃公園の鳩を見て
「おいしそう」
と一言発したら
日本ではドン引きされたエピソードがある。
しかも、戦時中は食糧難で兵隊さんも生きるために人の肉も食していた時期もあります。
さらに、言うのならば
「私たちが食べている鶏肉だって、豚肉だって、牛肉だって命あるもの」
であり、これらは「かわいそう」ではないのか?という理論にもなります。
そう考えると、その人が生きている時代や文化は
「誰が悪い」
とは一概に言えないということも確かです。
世界で100万部のベストセラーになった『FACT FULNESS(ファクトフルネス)』にあったようにこのことが人々を分断する原因ともなります。
しかし、だからと言って
日本基準の価値観の中で育ち犬好きの私には正直
「犬」=「食べ物」という価値観をすぐに受け入れろと言われたら
それには
長い時間がかかりそうだ。
狭い日本の中で凝り固まった価値観や
日本基準の当たり前な価値観を見直すこと。
そのきっかけを与えてくださった事は私にとってはどこか新鮮さがあり、忘れられない先生との出会いでした。